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更新日:2019年11月1日

ごろごろ、神戸2「第35回 「迷惑」の置き場所」

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散歩途中の公園でパンを食べていると、子供が自分のぶんをちぎっては、地面に放り投げ始めた。物を遠くに投げる動作が楽しいのか、えい!えい!とはしゃいで小さなパンくずを投げている。するとどこからともなく鳩がやってきて、それをついばむ。私は、あ、まずいな……と思いながらもつい、子供と鳩のやりとり、そのほのぼのとした光景を見てそのままにしてしまったら、通りがかった見ず知らずの親子の、まだ小学校にも行かないような子供が大きな声で「鳩にエサやったらあかんのになあ!?」と母親に話しかけている。やってしもた……と思いながら私はやんわりと子供に注意して、食べ残しをリュックにしまう。以前ツイッターを使って「かつて神社や寺にいた鳩の豆売りの存在を知っていますか?」というアンケートをとった事があるのを思い出した(回答者の多くが知らなかった)。私は公園などで特に罪悪感なく鳩にエサをやっていた世代の生き残りなのだ。

環境省のホームページを調べると「ドバトによる被害の防止について」(外部リンク)という通達が各都道府県の知事宛てに出されたのが1981年。当時の口調はまだ控え目で、「ドバトは、従来より都市地域の国民生活にうるおいをもたらすものとして親しまれてきたが」ということわりも見られ「みだりに給餌を行わない等の啓蒙を行うこと」「社寺境内におけるドバト用の餌の販売を自粛するよう指導する」程度の呼びかけにとどまっている。1994年には広島の平和記念公園で豆売り販売が中止され、2001年に作成されたドバト被害防止パンフレット「エサをあげないで!」(外部リンク)ではより強く具体的に給餌による弊害が語られる。その後2000年代の初めには浅草寺で豆売りが廃止、現在はどこの公園に行ってもエサやりしないで!と訴える看板やポスターがあるから、数十年かけて「豆がほしいかそらやるぞ」(童謡の『鳩』)の世界から「エサやりは迷惑」へと、鳩をめぐる私たちの常識がシフトしていった事がわかる。

10年ほど前、私は東京の下町路地を巡りそこで生きる野良猫たちの様子を写真に撮っていた。インターネットで発表すればそこそこの評価が得られ、私はつかのまネコ写真家にでもなったようなうぬぼれた気分を味わっていた。しかし毎日のように朝夕となく野良猫とともにいると、やがて「かわいい」だけではない、綺麗事ではすまされない世界が見えてくる。いけない事だとわかりながらもエサをあげる人、それを苦々しく思う人、野良猫に糞をされる家の人、捕獲して去勢し「地域猫」として町と猫の共生を模索する人。そういった様々な人たちと接していてもなお、私はどの立場に属するわけでもなく気軽にやって来ては写真を撮り、野良猫の「かわいい」だけをスポイルして都合良く消費している。そんな自分の写真に嘘くささを感じて、私は野良猫にカメラを向ける事をやめた。今はサザエさんの歌のように猫が魚をくわえて呑気に生きていけるような時代ではない。

漫画『神戸在住』(木村紺)が雑誌に連載されたのは1998年から2006年。今この作品を読み返すと、内容には関係のない細部として、登場人物がところかまわず煙草を吸っている様子が見られる。主人公の弟、父親、同じサークルの仲間、同級生、友人知人と喫煙する人を数えていけばきりがない。彼らはどこかに席をはずすわけでもなく部室や家庭内、食事中であれ歩きながらであれ、誰に気を遣うわけでもなく自然に煙を吐き出している。たった二十年ほど前の事なのに、この作品が描かれていた頃と現在とでは煙草の煙に対する私たちの考え方は大きく変わった。もしも『神戸在住』の世界を、最新の技術でにおいまで忠実に再現する事が出来れば、現代の私たちの感覚だと全編相当に煙草くさくなるはずだ。私はこの作品を読みかえすたびに、主人公の髪の毛や服にいつもしみついていたであろう家族や友人の煙草のにおいについて考える。それは作品とは切っても切り離せない、時代そのもののにおいだから。

鳩や野良猫の害、煙草の煙。ほんの数十年ほど前まではこのような「迷惑」が町にはびこっていた。そして私たちの社会常識は時間をかけて、その都度アップデートされ、「迷惑」はやがてゼロに向かうように調整されて行く。その流れを否定する気はさらさらないし、鳩の糞だらけの広場や煙が充満する交通機関や飲食店があった時代に比べれば、今の方がよほど過ごしやすくありがたい。綺麗になっていく町は、その社会が成熟した証だといえるのだけれど、私の心のどこかには、かつて活き活きとあった町のノイズをなつかしむ気持ちもある。雨の日や雪の日に、嫌われ追いたてられながらも体を濡らし路地のすみに生きていた野良猫たち。駄目でだらしのない「迷惑」の置き場所が、車やバイクのブレーキにおけるあそび部分のように、社会にほんの少しくらいは残っていてもよいのでは、とも思う。雑然とした神戸を象徴する風景であり、『神戸在住』の舞台のひとつでもあった元町高架下は現在、綺麗に再開発されようとしている。

 

暑い陽ざしだった。だが私には、アイスクリームも、氷も買えない。ホームでさっぱりと顔を洗うと、生ぬるい水を腹いっぱい呑んで、黄いろい汚れた鏡に、みずひき草のように淋しい自分の顔を写して見た。さあ矢でも鉄砲でも飛んで来いだ。別に当もない私は、途中下車の切符を大事にしまうと、楠公さんの方へブラブラ歩いて行ってみた。

 

砂ぼこりのなかの楠公さんの境内は、おきまりの鳩と絵ハガキ屋が出ている。私は水の涸れた六角型の噴水の石に腰を降ろして、日傘で風を呼びながら、晴れた青い空を見ていた。あんまりお天陽様が強いので、何もかもむき出しにぐんにゃりしている。

 

何か面白い仕事でもころがっていやしないかと神戸駅に降り立った『放浪記』(林芙美子)の主人公は、駅近くにある楠木正成を祀った湊川神社にぶらぶらと入って行った。夏の暑い盛り。石に腰をかけていると「もし、あんたはん!暑うおまっしゃろ、こっちゃいおはいりな……」と鳩の豆売りのおばあさんに声をかけられる。おばあさんは「東京はもう地震はなおりましたかいな。」と関東大震災で大きな被害を受けた東京を気遣い、主人公は呼びかけてくれたお礼のように「お婆さん、お上りなさいな。」と持っていたお弁当を広げて玉子焼きをふるまった。その時おばあさんの足元に置かれていた石油缶。そこには鳩にやるためのふやけた大豆が入っている。今はもう存在しない豆売り小屋の中で、おばあさんと向かい合って座る主人公が感じた夏の涼気と、缶からたちのぼるにおいを私は想像する。小説では「豆くさい」と一言だけ書かれたそのにおいを想像する。

道路にいるたくさんの鳩

文と写真 平民金子

写真を撮ったり文章を書いたりしています。1975年生。東京か大阪かメキシコにいましたが、現在は神戸在住。

神戸市広報課より

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(掲載内容は2018年1月24日現在の情報です)

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