現在位置

ホーム > 市政情報 > 記者発表資料 > 記者発表2021年3月 > 国登録有形文化財の登録~国の文化審議会の答申~

更新日:2021年3月19日

国登録有形文化財の登録~国の文化審議会の答申~

ここから本文です。

記者資料提供(令和3年3月17日)

国登録有形文化財の登録~国の文化審議会の答申~

国の文化審議会【会長:佐藤 信(まこと)】は、令和3年3月19日(金曜日)に開催された同審議会文化財分科会の審議・議決を経て、新たに132件の建造物を登録するよう文部科学大臣に答申しました。この結果、官報告示を経て、登録有形文化財(建造物)は、13,097件となる予定です。

1.登録される文化財建造物の概要(神戸市分) 5件

(1)旧摩耶観光ホテル

【概要】
  • 所在地:神戸市灘区畑原字ノタ山344
  • 員 数:1棟
  • 登録基準:「二 造形の模範となっているもの」【※註1】
  • 所有者:法人所有
  • 建設年代:1930(昭和5)年/1961(昭和36)年改修
  • 建築主:摩耶鋼索(まやこうさく)鉄道株式会社
  • 設計者:今北 乙吉(いまきた おつきち)【※註2】
  • 施工者:大林組
  • 建築面積:900.9平方メートル(延床面積:2,054.9平方メートル)
  • 構造、形式:鉄筋コンクリート造 地上2階・地下2階建(4層)、陸屋根【※註3】

旧摩耶観光ホテル・南棟外観写真 旧摩耶観光ホテル・南棟(外観写真)

旧摩耶観光ホテル・1階大食堂 旧摩耶観光ホテル・1階大食堂

旧摩耶観光ホテル・1階洋室 旧摩耶観光ホテル・1階洋室

旧摩耶観光ホテル・2階大ホール 旧摩耶観光ホテル・2階大ホール

旧摩耶観光ホテル・北側遠景 旧摩耶観光ホテル・北側遠景

旧摩耶観光ホテル・位置図 旧摩耶観光ホテル・位置図

旧摩耶観光ホテル・詳細位置図 旧摩耶観光ホテル・詳細位置図

【歴史と沿革】
  • 六甲山地の中央部、摩耶山の南麓中腹付近で、尾根が一部平坦になった場所(標高約420メートル)に位置しています。現在の摩耶ケーブル虹の駅(標高約450メートル)から階段で降りるか、東側の登山道しかアクセスがなく、道路には面していません。
  • 1930(昭和5)年、「摩耶倶楽部」(福利厚生施設)として建築されました。鉄筋コンクリート造で、L字形の平面形をしています。建築当初は、屋上階の丸窓や二本の煙突と塔屋(とうや)等が軍艦を連想させることから、「軍艦ホテル」と呼ばれていました。
  • 建築主は、1922(大正11)年に設立された摩耶鋼索(まやこうさく)鉄道株式会社で、摩耶鋼索鉄道(現在の摩耶ケーブル線)をはじめ、摩耶駅(現在の摩耶ケーブル虹の駅)周辺に、食堂や遊園地を運営していました。
  • 設計者は、甲南高等女学校(甲南女子高等学校の前身)をはじめ、神戸市立本山第二小学校や岡本公会堂等の建築を手がけた今北乙吉です。
  • その後、1929(昭和4)年頃から「摩耶山温泉ホテル」として営業を開始していました。
  • 1944(昭和19)年に、戦時下において、ケーブル線が不要不急の路線として、廃止され、翌年に、ホテルも営業を停止しました。さらに戦時中は、空襲による被害も受けました。
  •  1960(昭和35)年、当ホテルは、別の会社に売却され、1961(昭和36)年に全面改装の上、「摩耶観光ホテル」として営業が再開されました。「マヤカン」の略称で呼ばれ、地域住民だけでなく、全国的にも高い知名度を博していました。内装には、1959(昭和34)年に解体された豪華客船「ふらんす丸(旧イル・ド・フランス)」【※註4】の豪華な装飾品が転用されています。
  • しかし、台風等の被害を受けて、1967(昭和42)年頃に、ホテルの営業を停止しました。
  •  その後、何度も所有者が変更し、福利厚生施設等として利用されていましたが、1993(平成5)年頃、建物が閉鎖されることとなりました。
  • 阪神・淡路大震災や度重なる台風被害等により、倒壊は免れましたが、著しく損傷したため、立ち入り禁止となっていました。
  • 1999(平成11)年頃から「廃墟ホテル」として、一部のメディアや愛好家の間で、注目されるようになり、映画等の映像制作のための撮影地にも選ばれるようになりました。
  • 2015(平成27)年から、現在の所有者と、近代化遺産の活用を推進するNPO法人が連携し、兵庫県のヘリテージマネージャーが加わって、三者による「摩耶観光ホテル保存の会」が結成されました。同会では、クラウドファンディングによる資金調達により、建物の不法侵入を防ぐための防犯システムの導入や、建物の防水補強工事等に取り組んでいます。
【特徴・評価】
  •  尾根上の傾斜面に建設されており、4層(地上2階、地下2階)からなる鉄筋コンクリート造で、陸屋根、外壁はモルタル塗の上、吹付塗装で仕上げられています。南及び東西方向に広がる神戸・阪神間の眺望を、各階において、生かすように工夫されており、山上の娯楽施設としてのあり方をよく体現しています。
  •  1階及び2階は、利用客の共用部分で、1階は、大食堂・洋室・和室・浴室など、2階は、ホール・ステージ・バルコニーなどとなっています。地下1階は、洋室の客室、地下2階は、和室の客室となっています。
  • L字形平面の各階に水平庇(ひさし)を廻らし、出隅(ですみ)を曲面としています。
  • このようなアール・デコ【※註5】調の造形は、外観だけでなく、大ホール・ステージ等、内部の意匠(いしょう:デザインのこと)にも見られます。

 (2)旧駿河屋

【概要】
  • 所在地:神戸市北区有馬町字有馬830
  • 員 数:1棟
  • 登録基準:「一 国土の歴史的景観に寄与しているもの」
  • 所有者:個人所有
  • 建設年代:1926(大正15)年/2020(令和2)年改修
  • 施工主:清水 弥三郎(地元の大工)
  • 建築面積:42.04平方メートル(延床面積:126.12平方メートル)
  • 構造、形式:木造3階建、金属葺、外壁は、杉皮張で化粧垂木(けしょうだるき)【※註6】に杉丸太を用いています。

旧駿河屋・正面(北面)外観 旧駿河屋・正面(北面)外観

【歴史と沿革】
  • 旧駿河屋は、有馬温泉にある元竹細工の工房で、湯本坂に北面して建っています。
  • 有馬温泉では、古くから竹細工(主に籠)が湯治客の土産物として販売されていましたが、江戸時代末期から昭和初期にかけて、有馬籠が隆盛を極めていました。
  • 駿河屋は、現在の所有者の祖父にあたる、有馬籠(ありまかご)竹細工職人により、開設されました。
  • 施工は、地元有馬町内の大工である清水弥三郎で、課税台帳によると、1926(大正15)年に建築されました。
  • 木造3階建で、建築当初は、1階は工房と台所で、2階は家族用の住居、3階は湯治客用の貸間として使われていました。
  • 2020(令和2)年に改修を行い、1階を物販店、2階・3階を宿泊施設となっています。

旧駿河屋・3階内観 旧駿河屋・3階内観

旧駿河屋・2階内観 旧駿河屋・2階内観

旧駿河屋・位置図 旧駿河屋・位置図

旧駿河屋・詳細位置図 旧駿河屋・詳細位置図

【特徴・評価】
  • 旧駿河屋のファザードデザイン【※註7】は、杉皮の外壁に現し(あらわし)【※註8】の杉丸太垂木や野地板(のじいた)【※註9】、大きく張り出した勾配の緩い屋根など、当時の数寄屋風普請(すきやふうふしん)【※註10】を感じさせると同時に、2・3階の縁側建具は、一本溝となっており、雨戸を開け放つと外気に開放される構造となっています。
  • 周辺の旅館やホテル・店舗などが、鉄筋コンクリート造に建て替えられ、古来の有馬温泉の温泉街の景観や風情を失いつつある中で、大正時代から昭和初期の面影を色濃く残した建築物として、貴重な存在といえるでしょう。

(3)御所坊本館

【概要】
  • 所在地:神戸市北区有馬町字有馬859他
  • 員数:1棟
  • 登録基準:「一 国土の歴史的景観に寄与しているもの」
  • 所有者:法人所有
  • 建設年代:明治時代中期/1931(昭和6)年増築/1955(昭和30)年改修
  • 設計主・施工主:いずれも不明
  • 建築面積:1,498平方メートル
  • 構造、形式:木造3階建、桟瓦葺
  • 備考:この建物の原型は、明治時代中期の「御所坊川別荘」と呼ばれていた建物で、旧御所坊本館は、1943(昭和18)年に、火災により焼失しています。

御所坊本館・正面玄関 御所坊本館・正面玄関(東側から)

【歴史と沿革】
  • 御所坊は、1191(建久2)年に、有馬温泉の湯殿の脇に店を構え、温泉(金泉)を管理する「湯口屋」として、湯元前にて創業しています。
  • 藤原定家(ふじわらていか)【※註11】の旅日記である『明月記(めいげつき)』には、1208(承元2)年10月、「湯口屋」には、平頼盛(たいらのよりもり)の後室(こうしつ)【※註12】が泊っていたと記されています。
  • 「御所坊」の由来としては、14世紀末、室町幕府三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の湯口屋逗留(とうりゅう)【※註13】を期に「御所」と呼ばれるようになり、1483(文明15)年8月、蓮如上人(れんにょしょうにん)【※註14】が御所へ逗留した頃から、御所の名前に「坊」がついたと言われています。
  • 現在の御所坊本館の原型は、明治時代中期の「御所坊川別荘」と呼ばれていた建物で、旧御所坊本館は、1943(昭和18)年に、火災により焼失しています。
  • 本来、温泉地等では、「別荘」とは、1週間単位の長期滞在で避暑などに利用される専用の旅館のことを指していました。
  • 御所坊には、谷崎潤一郎をはじめ、吉川英治、与謝野晶子、伊藤博文など、多くの文化人が、文筆活動や保養のため、訪れています。

御所坊本館・娯楽室 御所坊本館・娯楽室

【特徴・評価】
  • 一般的には「旅館」という性格上、社会情勢の変化や各時代の流行によって強く影響を受けやすいため、その旧状が大きく失われる場合が多く見られがちです。
  • この建物の内部意匠における最大の特徴は、建設当初からの保存状況が極めて良好である点です。
  • 1931(昭和6)年に西側部分を増築し、1955(昭和30)年に玄関部分の改修を行っていますが、現在でも、明治時代に建設された当時の面影を留めています。
  • 木造和風建築で、屋根は、東面の玄関上が切妻(きりづま)で、西側が寄棟(よせむね)屋根となっています。周辺を銅板一文字葺き、中央部を瓦葺きとしています。
  • 外壁は、真壁(しんかべ)造り【※註15】漆喰(しっくい)仕上げで、一部に、焼き杉板張【※註16】とモルタル吹付仕上げが混在しています。

御所坊本館・大広間 御所坊本館・大広間

御所坊本館・和室 御所坊本館・和室

御所坊位置図 御所坊(本館・新館・蔵)位置図

御所坊・詳細位置図 御所坊(本館・新館・蔵)・詳細位置図

(4)御所坊新館

【概要】
  • 所在地:神戸市北区有馬町字有馬853
  • 員数:1棟
  • 登録基準:「一 国土の歴史的景観に寄与しているもの」
  • 所有者:法人所有
  • 建設年代:1955(昭和30)年頃/1961(昭和36)年増築
  • 設計主・施工主:設計主は不明、施工は、石田組
  • 建築面積:木造3階建(426平方メートル)、鉄筋コンクリート造と木造の混構造(357平方メートル)、鉄筋コンクリート造平屋(183平方メートル)
  • 構造、形式:木造3階建部分と、鉄筋コンクリート造一層に、木造二層をのせる混構造(こんこうぞう)【※註17】部分から構成されています。
  • 外壁は、モルタル吹付仕上げで、屋根は桟瓦葺、一部は陸屋根。

御所坊新館・外観 御所坊新館・外観(東側から)

御所坊新館・和室 御所坊新館・和室

【歴史と沿革】
  • 御所坊新館(翠巒御坊:すいらんごぼう)【※註18】は、平屋の鉄筋コンクリート造と地下1階、地上2階建の木造部分と、1階が鉄筋コンクリート造、2階が木造の混構造部分の合体した複雑な構造となっています。
  • 1955(昭和30)年頃、本館の増築時に、本館のための調理場として、木造3階建ての建物を建設しました。
  • 1960(昭和35)年に、下層階が、鉄筋コンクリート造(建築面積175平方メートル)、上層階が、木造(建築面積181平方メートル)の混構造部分(357平方メートル)が増築されました。
  • 1961(昭和36)年に、木造部分の一部を改修して、平屋の鉄筋コンクリート造に改造しています。
【特徴・評価】
  • この建物の特徴は、内部空間にあります。幾何学図形をモチーフにした記号的表現や現色による対比表現などの特徴を持つアール・デコ【※註19】や新造形主義【※註20】が、内装のデザインに影響を与えていると思われます。
  • 「水平線や垂直線を重視したシンプルな形態」、「自由なラインと原色を使った表現」等、廊下の照明器具のデザインや客室の障子桟の意匠などに、その特徴が表れています。

(5)御所坊土蔵

【概要】
  • 所在地:神戸市北区有馬町字有馬836-1
  • 員数:1棟
  • 登録基準:「一 国土の歴史的景観に寄与しているもの」
  • 所有者:法人所有
  • 建設年代:1890(明治23)年/1985(昭和60)年頃改修
  • 設計主・施工主:いずれも不明
  • 建築面積:45平方メートル
  • 構造、形式:土蔵2階建、切妻造妻入、屋根は桟瓦葺
  • 備考:現在はギャラリーとして活用されています。

御所坊蔵・外観 御所坊蔵・外観(南側から)

【歴史と沿革】
  • 棟札から、建築年代は、1890(明治23)年で、1943(昭和18)年に焼失した御所坊・旧本館の付属建造物でしたが、焼失を免れました。
  • 設計者や施工者は不明で、建設当初より、倉庫として使用されていましたが、1985(昭和60)年頃に内部を改修して、ギャラリーとして活用されています。
【特徴・評価】
  • この建物は、土蔵造りで、基壇及び出入口の石段は、御影石を使用しています。
  • 屋根は、切妻造の桟瓦葺きで、外壁は、漆喰壁で、腰部分【※註21】は、「なまこ壁」【※註22】です。
  • 建設当初の外観を良好に保っており、なおかつ、歴史的建造物を利活用したまちづくりに寄与している点で、評価が高いと思われます。

御所坊蔵・2階内観 御所坊蔵・2階内観

御所坊蔵・1階内観 御所坊蔵・1階内観

2.文化財登録制度の概要

  • 近年の国土開発、土地開発の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受ける間もなく、消滅の危機にさらされている多種多様かつ大量の近代の建造物を中心とする文化財建造物を後世に幅広く継承していくため、届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度で、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完する制度です。
  • 登録有形文化財(建造物)は、50年を経過した歴史的建造物のうち、一定の評価を得たものを文化財として登録し、届出制という緩やかな規制を通じて保存が図られ、活用が促進されています。

3.神戸市内の国登録有形文化財(建造物)の件数

  • 今回答申を受けた登録する5件を加えると、神戸市内にある国登録有形文化財(建造物)の件数は109件となります。

【註】

  • 【※註1】国登録有形文化財の登録基準として、「原則として建設後50年を経過し、かつ、次の各号のいずれかに該当するもの」という規定が定められています。「一 国土の歴史的景観に寄与しているもの」・「二 造形の規範となっているもの」・「三 再現することが容易でないもの」
  • 【※註2】陸屋根(ろくやね)とは、水平または屋根勾配が極めて小さい屋根のことで、鉄筋コンクリート造の建築物に多く見られます。平屋根(ひらやね)ということもあります。
  • 【※註3】今北乙吉は、1894(明治27)年に、神戸市兵庫区で生まれました。1912(明治45)年、神戸地方裁判所庁舎や旧小寺家厩舎(きゅうしゃ)を建設した河合浩蔵(かわいこうぞう)の建築事務所に入社しています。1919(大正8)年には、今北建築事務所を開設しています。旧摩耶観光ホテルをはじめ、甲南高等女学校(甲南女子高等学校の前身)、神戸市立本山第二小学校、岡本公会堂等、住宅から神社、学校まで幅広く設計し、阪神間で活躍していました。1942(昭和17)年に、享年49歳で亡くなっています。
  • 【※註4】ふらんす丸は、元は、1926(大正15)年5月に竣工したフランス船籍の豪華客船「イル・ド・フランス」で、1958(昭和33)年に、現役を引退するまで、主に北大西洋航路で活躍していました。スクラップとして日本に売却され、日本船籍のふらんす丸に改名されました。船内の装飾品は、旧摩耶観光ホテルをはじめ、徳島県立博物館に引き取られています。
  • 【※註5】アール・デコ(Art Deco:フランス語)とは、アール・デコラティフの略語で、1925(大正14)年にパリで開催された現代装飾・産業美術博覧会に由来しています。対称的直線的な装飾様式を特徴としており、1925年様式、または25年様式と呼ばれることもあります。
  • 【※註6】化粧垂木とは、軒裏や屋根裏などに用いられる美しく仕上げられた垂木(棟から軒にかけられた斜めの屋根材)のことです。本来、垂木は野地板などの屋根材を支える下地の部材として隠れて見えなくなるものですが、完成した時に見える状態になっている仕様のものを化粧垂木と呼んでいます。
  • 【※註7】ファザードデザインとは、建築物の正面部分のデザインのことです。フランス語に由来しており、「ファザード」だけで、正面部分のデザインを示す場合もあります。
  • 【※註8】「現し」とは、木造の建築物で、柱や梁などの構造物(この建物では、杉丸太垂木)が見える状態で仕上げているものです。「躯体(くたい)現し」と呼ぶこともあり、躯体(建築の構造物)を隠さず、表現したことから、このような呼び方になりました。この建築物では、化粧垂木や野地板が、現しの状態で仕上げられています。
  • 【※註9】野地板とは、屋根材の下地部分のことです。本来は、垂木と同じく、外から見えないところに用いるものです。
  • 【※註10】数寄屋(すきや)とは、安土桃山時代に出現した茶室のことで、四畳半以下の小規模な茶席用の小部屋を示すものでした。「好みに任せて作った家」という意味があります。数寄屋風普請とは、いわゆる数寄屋造りのことで、本来は、数寄屋(茶室)を取り入れた和風建築の様式を示していましたが、小規模な純和風建築という意味で使われることが多く見られます。
  • 【※註11】藤原定家【1162(応保2)年~1241(仁治2)年】は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての活躍した公家(くげ;朝廷に仕える貴族)で、歌人としても有名です。旅日記『明月記(めいげつき)』の作者で、『古今和歌集(こきんわかしゅう)』・『小倉百人一首』等の和歌集の撰者としても知られています。
  • 【※註12】平頼盛【1133(長承2)年~1186(文治2)年】は、平安時代末期の平家一門の武将・公卿(くぎょう:高い身分の公家)で、平忠盛(たいらのただもり)の五男です。平清盛(たいらのきよもり)の異母弟にあたります。壇之浦の戦いの後、平家一門の中で、生き残った数少ない人物の一人です。平頼盛の後室とは、正室である八条院女房のことであると思われます。後室とは、身分の高い人の未亡人(通常は正妻・正室をさす場合が多い)のことです。
  • 【※註13】逗留とは、旅先などに一定期間、滞在することで、通常は、湯治場(温泉地)などに保養目的で宿泊する場合に用いられます。
  • 【※註14】蓮如【1415(応永22)年~1499(明応8)年】は、室町時代の浄土真宗の僧侶で、本願寺派第8世(第8代)を継ぎました。現在の本願寺教団(本願寺派・大谷派)の基礎を築いたことから、「本願寺中興の祖」と呼ばれています。「蓮如上人」と尊称で呼ばれることもあります。
  • 【※註15】真壁造りとは、伝統的な木造住宅の壁の構造で、柱と柱の間に壁を納める方式のものです。柱が外側から見える状態になっています。現在でも、神社や仏閣の建築物は真壁造りのものが多く見られます。一方、大壁造りとは、柱を壁材の中に覆い隠す方式のもので、柱が外側から見えない状態になっています。真壁造りは、壁の内部に湿気を溜めにくいという利点がありますが、耐震性・耐火性から見ると、大壁造りに比べると劣っているため、現代の建築物の壁構造の多くは、大壁造りとなっています。
  • 【※註16】焼き杉板張は、壁材として、杉板の表面を焼いて炭化させたものを使用しています。通常の杉板と比較すると、耐水性や耐久性が増し、腐食に強く、防虫効果も高くなります。また、炭化しているため、燃えにくいという利点もあります。
  • 【※註17】建物の構造には、木造、鉄筋コンクルート造、鉄骨造などがありますが、混構造とは、複数の構造・構法を組み合わせるもので、例えば、木造と鉄筋コンクリート造を組み合わせることにより、耐火性や耐震性を高めるなどの利点があります。
  • 【※註18】「翠巒(すいらん)」とは、草木が生い茂って緑色に見える、連なる山々の姿のことです。「翠」は、緑色を表し、「巒」は、連なる山並みを表しています。
  • 【※註19】アール・デコ(Art Deco:フランス語)とは、アール・デコラティフの略語で、1925(大正14)年にパリで開催された現代装飾・産業美術博覧会に由来しています。対称的直線的な装飾様式を特徴としており、1925年様式、または25年様式と呼ばれることもあります。
  • 【※註20】新造形主義(ネオ・プラスティシズム)とは、1917(大正6)年、オランダの画家であるモンドリアンが提唱した絵画思想です。絵を垂直線・水平線と三原色で構成し、造形上の純粋な表現を追求しました。新芸術主義と呼ぶこともあります。
  • 【※註21】腰部分の「腰」とは、建物の壁面の仕上げや構造が上部と下部で異なっている場合に、その下部の壁面のことです。
  • 【※註22】なまこ(海鼠)壁とは、外壁仕上げの手法の一つで、主として、土蔵などに用いられることが多いです。壁面に正方形の平瓦を並べて貼り付け、瓦の目地(継き目の部分)に、漆喰を蒲鉾(かまぼこ)形に盛り付けて塗る工法のことです。「なまこ目地瓦張」と呼ぶこともあります。

 

お問い合わせ先

市政、くらし、各種申請手続でわからないことは神戸市総合コールセンターにお電話ください

電話 078-333-3330 Fax 078-333-3314

このページの作成者

文化スポーツ局文化財課 

〒650-8570 神戸市中央区加納町6-5-1 神戸市役所1号館 19階西