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更新日:2020年11月9日

阪神・淡路大震災 消防職員手記(「雪」編集部) (1995年3月号掲載)

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悪夢の48時間―神戸市における震災との死闘―(1995年3月号掲載・予防部長 西田 和馬)

悲惨!無常!無念!巨大地震は、何10年も鍛え、積み重ねて来た経験と力をはるかに上回るものであった。市民の生命、身体、財産の保護のために職を奉じた者にとって、こんなに辛い1週間はなかった。
1ヶ月過ぎた今も、その悔しさや無念は、頭から離れようとしない。水さえ出てくれれば!救助にもっと人手と道具があれば!

貯水槽を2つ空にして次の水槽を探そうとした時にも、まだ応援は来てくれない。その目の前に助けを求める人がいる。炎は容赦なくせまってくる。倒壊した木造家屋は絶好の燃え草となった。
しかし、その下に人が助けを求めている。それはまるで地獄絵に等しかった。極端に興奮した家族は、隊員に殴りかかってきた。
「水さえ出れば!・・・・・・」と言葉にならない。
「悔しい!」
無念がこみ上げて来る。

午前中には、1,300名の全職員が、ほぼ活動体制に入れた。比較的被害の少なかった北消防署や垂水、西消防署から、北消防団、西消防団も兵庫区や長田区へ応援にかけつけた。
しかし、この時には、火点や火面は、もうその力をはるかに上回っていた。プールや川を堰き止め、あるいは運河へとポンプの吸管は水を求めた。消防艇からは、6線ものホースが遠々と2キロもの路上を這った。続々と投入されて来る全国各地からの応援消防隊が、その間に入って中継した。それをトラックが踏んでホースが破れ、貴重な水が路上に溢れて無駄となる一幕もあった。
俄(にわか)作りの混成部隊、指揮体制がうまく行くはずがない。また、波の違う無線もままならなかった。唯一全国共通波に連絡は救われた。
その間にも炎は、拡大の手をゆるめず、西端は、西部石油コンビナート地区へとせまって行った。時に地震から12時間後である。
続々と投入されて来る応援部隊を指揮して延焼阻止に奮闘してくれたこの面の指揮者には頭の下る思いがする。

同時に、東部第二工区では、LPGが漏洩していた。タンクからの取出しバルブの結合部分に亀裂が生じた為である。この部分は、どうにも止めようがないと言う。それでも初めの頃は漏洩したガスが防油堤内に納まっていたが、それが溢れ出したからいけない。
高発泡で押えようとしたが所詮洩れているものには役立たない。ここへは民間の防災センターを主力に化学車5セットを配備させた。国道2号線以南の住民約7万人には避難して頂く事となった。翌日の明方6時の事である。
それから12時間、現場では、漏洩防止の死闘が続いた。幸い17日に入荷の予定だった隣のタンクが空いていた。これへ移す為の工事が始まった。静電気も火花も、それは一触即発を意味する。モーターを動かす電力も特別に送られた。
そして移送が開始されて、夕方6時30分避難を一旦解除することが出来た。
家屋倒壊で避難、その避難先も追われる避難は、出来るだけ避けなければならない。生活重視の最善の処置であったが、あれに引火しておれば・・・・・・と考えると背筋が寒くなる。

これらの部隊運用も含め消防局指令室は、混乱を極めた。幸い市役所3号館の損傷は少なく、30億円をかけた新管制システムの主要部分は、その機能を失わなかった。
12台の受令台は、鳴りっ放しになり、3台の無線台は聞き取れない程、交信が続いた。しかし、地震直後、監視テレビは写らなくなるし、119番は、無言が続いた。無線も充分に各署の指揮者の情報を伝えてくれなかった。
1号館24階に駆け上って得た市街地の情報がまず最初と言って良いだろう。その時すでに20本程の煙が昇っていた。その時の通報状況、無線報告等から火災発生35件、その内、復旧した監視TVでは、10箇所が大炎上と確認している。
6時50分から消防局の災害対策本部が、管制室に設置され、市内各地の情報収集と災害対応がなされた。
3階事務所も混乱していた。転倒した書棚や机を起こし、電話を点検して情報を収集しようとするが電話の半分は話中音で通じなかった。それでも参集して来る職員で情報収集に努めたが、応援出動や資材の搬送、応援隊の案内で、その主力は常にそこになかった。
そこでも緊急車や人手は、いくらあっても足りなかった。午後2時頃、空からと地上からのビデオが唯一の情報となった。それによって各区の地図に火災の状況が記入出来たのは夜半になってからである。その街区を計算して焼失面積が100ヘクタールと推定できたのである。
それらは、今までの防災計画や災害活動では一度も体験し得なかったことである。

家族を親戚や縁者にあずけ、ある職員は、路上に置いた車の中に妻子を置いての活動である。当日当直だった職員が家族の安否を知ったのは3日も経ってからというのが何人もいる。幸い、職員の負傷は軽症以下だったし家族をなくした者、13人、家が壊れた者、152人で済んだ。それらの職員も、公共のために不眠不休で必死に働いた。そうする事が任務だと心に決めていたからだ。

隊員達が僅かな休みの間に記した沢山の手記が寄せられた。他都市からも寄せられた。そして彼等と世相は、それを特集することを望んだ。記録を残したかった事もあるが、必ず読む人に訴えるものがあると信じたからである。

全国の消防本部から沢山の隊員の応援を受けた。そして、その人たちにも同じような苦しみと悲しみを与えてしまった。それ程、たった数10秒の大地の揺れが残して行ったものは大きかった。

今後は、全国の同胞に対し、このお礼をしなくてはならない。それはこの大騒動の結末を立派にやってのける事もその一つだと肝に命じている。
神戸がどうの、東京ではどうのと言う各論はともかく、日本の社会にとって震災対策の強化が叫ばれようとしている。今回、現場で頑張ってくれた隊員達には本当にご苦労様と言いたい。

今、神戸市では、学識経験者や市民を含む各界代表の手で消防のあり方を見直そうと消防基本計画検討委員会が設置された。そこでは消防体制の基本方針をはじめ地域の機能との連携や施設整備が検討されようとしている。
期待したい。
今回の一連の活動に対し、自治省消防庁猪野消防課長の決断と配慮に対し、満腹の信頼と深勘なる謝辞をつけ加えたい。

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