
京都の南禅寺の末寺で天授元年(1375年)に創建されたものです。
寿栄3年(1184年)の須磨一の谷の合戦は有名ですが、垂水の福田川流域には「名谷の源平合戦」という話があり、この時の戦死者を弔う石塔が名谷に500基以上残っています。
また、寺内には平清盛の孫師盛(もろもり)を弔ったという石板仏があり、神戸で最古の石仏だと考えられています。

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真言宗、山号を「龍華山」といい、区内最古の寺です。大同元年(806年)に落成したので大同寺とも呼ばれています。
寺の参道の自然林はコジイの大木が群生し、そのほかにもモチノキなどの原始照葉樹林になっており神戸随一といわれています。
また、境内、本堂の前庭に姿の美しいキリシタン灯籠があります。

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天台宗吉祥山多聞寺と呼ばれ、貞観2年(860年)ごろ清和天皇の命で慈覚大師が造りました。
創建後120年で天災のため焼失し、花山天皇の命で明観上人により再興されましたが、後にもたびたび火災に遭い、現在の本堂は正徳2年(1712年)の再建です。
なお、境内の弁天池の曲橋とカキツバタの花は「こうべ花の名所50選」の一つに数えられています。

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円通山と号して臨済宗の寺院です。天徳2年(958年)の創建で行基がヤマモモの木で造った観音像が本尊であるといわれています。
また、本堂の前には、南北朝時代の観応3年(1352年)の銘のある「宝筐印塔」(ほうきょういんとう)があり、「時衆百余人」という字も彫られています。
「時衆」というのは、一遍上人の「時宗」に帰依していた人のことです。

カメロン商会のジェームスさんが、この山を開発して外国人用貸住宅を建てたので「ジェームス山」と呼ばれています。
ジェームスさんが亡くなってからは、三洋電機の創業者井植歳男さんがこれらの土地と外国人用貸住宅を買い取りました。
その後、この井植さんを称え、1969年ジェームス山の高台に井植記念館が建てられました。

塩屋は、淡路島を見渡せる絶景の地で温暖な所だったので、旧グッゲンハイム邸など多くの異人館が建てられ、外国人たちが移り住みました。
広い敷地に瀟洒(しょうしゃ)な造りの洋館が建ち並びエキゾチックなムードを漂わせています。
ジェームス山を作ったジェームスさんは車が人を追い抜くことは許さなかったといいます。

江戸時代には、ここに「駒捨の滝」・「おんぢが滝」・「琵琶が滝」などという滝が海岸の崖にかかっており、麓を通る西国街道に沿って数軒の茶屋がありました。
それで滝の茶屋と呼び、そのまま山陽電鉄の駅名になりました。
1994年11月には、同駅から約30メートル下に見える平磯緑地に垂水にゆかりのある六首の歌が刻まれた万葉歌碑が建立されました。

九州の「宇佐八幡宮」から分かれたといわれる八幡神社は昔から旧西垂水村の氏神として祀られていました。
1931年ごろに現在の天の下町の辺りにあった天神、三宝荒神、豊臣秀吉を祀った瑞丘神社を八幡神社の境内に移し、そのころから瑞丘八幡神社と呼ばれるようになりました。
境内には原始照葉樹林のヤマモモ、クロガネモチ、ヒメユズリハなどの木が鎮守の森として残っています。

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昔から墓地であった丘を神戸市が1951年に「舞子墓園」として整備した標高90メートルの花崗岩の丘陵で、広さは約12万5千坪もあります。この墓園の中に石谷の石窟があります。
6世紀ごろの後期横穴式古墳ですが、上部の土が流れ、石室の巨大石が露出しています。かつては30数基あったようですが、現在確認できているのは約6基ほどです。

明石原人の化石発見で知られる考古学者・直良信夫博士が1922年ごろ縄文時代前期の土器を発見し、大歳山遺跡と名付け有名になりました。
その後も2万年前の旧石器や、弥生時代前期から後期にも集落があったことが確認されたり、古墳時代にも円墳や前方後円墳が築造されていることが明らかになるなど、各時代にわたる「複合遺跡」であることがわかりました。
1972年に前方後円墳・弥生時代の堅穴住居を復元し、保存されています。

見学は随時可能。毎年11月初旬に、1週間ほど遺跡内部を公開。
神戸市教育委員会事務局 文化財課 TEL:322-5798 FAX:322-6148
舞子の北の旧多聞村にある「多聞六神社」はもと「多聞十二所大明神」と呼ばれていました。
江戸時代にそのうちの六神を移したのが「舞子六神社」です。
この神社には、日本最大の石造りの恵比寿様と大黒様の像が立っています。
この石像は、霞ケ丘の外人宅の庭から1965年に移したもので、明治時代の石像美術品としては立派な作品です。

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底津綿津見、中津綿津見、上津綿津見の三神を祀っており、927年に編集された「延喜式」(法令集)にも神社名が出ている格式高い神社です。
神社の南には、1957年に建てられた朱塗りの鳥居があります。
高さ約12メートル、鉄筋コンクリート造りの大鳥居は、海上から見ると美しく垂水の名物の一つに数えられています。

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全長194メートル、前方部高さ11.5メートル、後円部高さ18メートルの県下最大の前方後円墳です。
4世紀末から5世紀初めにかけてつくられたこの古墳は、明石の国造の墳墓であるという説がありますが、築造については未だ解明されていません。
1965年から10年がかりの大工事で築造当時の姿に復元されましたが、使用された葺石は223万個にものぼっています。

9時〜16時45分
月曜(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
無料
管理事務所 078-707-3131
中国人貿易商の呉錦堂が大正4年(1915年)に建てた別荘です。八方の窓から見える景色は趣が変わるので、「移情閣」とも呼ばれています。
その当時、日本に亡命していた孫文が直筆した「天下為公」が記念碑になっています。

10時〜17時(入館は16時30分まで)
月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月29日〜1月3日)
入園料が必要です。
(078)783-7172
明治27年(1894年)に建てられた明治天皇の弟・有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)の別邸が現在の舞子ビラの前身です。
皇室とは関係が深く、1954年、昭和天皇が小束山の植樹祭に来られた時もこの舞子ビラに滞留されました。
その後、1966年に神戸市が買収し、現「舞子ビラ」として市民開放しました。
前庭の松は当時のおもかげを残しています。

(078)706-3711(代表)