民俗芸能

最終更新日
2009年3月25日

車の翁舞

車の翁舞妙法寺から歩いて15分、車の大歳神社では1月14日の19時から翁舞がある。

今日一般に露払い・翁・三番叟(さんばそう)の順に演じられる翁舞に対して、車ではその後に父の慰の舞が加わる四部の構成で行われ、江戸初期の形態を伝えていて全国的にも極めてめずらしく、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

以前は村全体の行事であったが、第二次世界大戦後に老人会の手に移り、昭和49年から車翁舞保存会の主催になっている。

行事の創始者に関する伝承はなく、古来より伝承されてきたというのみである。文久2年(1862年)の台本を残し、他にも数種の台本があり、それに文献・口碑などによると、江戸時代中期から昭和20年まで継続していたことが分かる。

空襲等で2度ほど中断したが、昭和45年に復活、現在に至っている。

行事の運営基地となる家のことを「ヤド」といい、車地区の家の戸主はヤドを務めなければ隠居できないと昔はそんな言い伝えがあったらしい。

1月14日、まず早朝に神社におもむいて御神体として、本殿に安置する面三体(翁、三番叟、父慰)をうけ、それをヤドに持ち帰ってここで事前に舞をひととおり行う。

ヤドを出発して19時に宮入りがはじまる。

ヤドを出発して宮(大歳神社)へ向かうが、先頭に松明(又は提灯)を先頭に神主・ヤド(面を持つ)・露払い・翁・三番叟・地謡・笛・鼓の順に一列に並んで進む。一同は舞台にのぼって定まった席に着座する。

役者は、

市営地下鉄妙法寺駅から市バス車大道下車徒歩5分

妙法寺追儺式

妙法寺追儺式1月3日、地下鉄妙法寺駅から徒歩約10分の妙法寺で追儺式がある。

15時、本堂回廊でホラ貝と太鼓の音の中、麻の黒衣に木綿の白褌・白襷をつけ、藤づるで体中をしばった五人のジカ鬼が一番太郎を先頭に登場。

ついで赤衣の子鬼が二人出たあと、三人の白鬼-太郎鬼が斧、次郎鬼が槌、ババ鬼が槍を持って現れ、踊っては退場する。

これを四度くり返し、五回目に太郎鬼が餅切りをして、最後に餅まきをして勇壮な鬼踊りは終わる。

地下鉄板宿駅から市バス5系統「奥妙法寺」から徒歩約3分
地下鉄妙法寺駅から徒歩約10分

勝福寺の追儺式

勝福寺の追儺式およそ千年も昔、鹿松峠に鬼人が出ては旅人を襲っていた。そこで、時の一条天皇は鬼人を仏教の力で退散させるよう高野山の若い僧に命じた。若い僧は、お堂を建て、鬼人が出なくなるよう祈り続け、やがて鬼人はいなくなったという。

この僧は、のちに證楽上人と呼ばれるようになり、上人が建てたお堂が勝福寺の起こりだといわれている。勝福寺で1月7日の夜に行われる追儺式は、この鬼人退治の踊りだと伝えられている。

大手町9丁目 山陽板宿駅から北西徒歩15分

須磨琴(一絃琴)

須磨琴(一絃琴)平安の昔、都を追われて須磨に流されてきた在原行平が、須磨の渚に打ち寄せられた舟板を拾い、それに冠の糸を張り、岸辺の葦を指にはめて掻き鳴らしたことがはじまりと伝えられている。

一枚の板に一本の絃を張っただけのその姿から一絃琴(いちげんきん)ともよばれている。

近年は西洋音楽に押されて衰退し、戦後には一絃琴を演奏できる人はほとんどいないという状況になった。

須磨琴保存会が、須磨発祥の地、須磨にその伝統をよみがえらせ、守り育てることを目的として、須磨寺前管長小池義人師の努力により昭和40年に須磨寺を本拠地として発足した。

古典曲の保存伝承に努めるかたわら、現代感覚を盛り込んだ新しい一絃琴音楽の確立を目指し、楽器の改良、開発や他楽器との合奏にも取り組んだ。

その後、須磨琴は兵庫県重要文化財の指定を受けた。

多井畑厄除八幡神社の餅つき

多井畑厄除八幡神社の餅つき1月18〜20日の厄除祭の御供物として神饌餅(しんせんもち)をつくる行事で、1月16日8時ごろから餅つき殿で始められる。

長さ1間余りの堅杵を持ち、臼の東西に4人ずつ向かい合い、掛け声にあわせてつく。

一度に3升を昼頃までかかって20数回つき、翌日の御供積みに供え、17日夜には御供を作り、餅を切る作業が行われる。

JR須磨駅から市バス多井畑厄神下車すぐ