句碑・歌碑

最終更新日
2009年9月3日

《須磨浦周辺》

蕪村句碑

蕪村句碑「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな 蕪村」

与謝蕪村(1716〜1783年)が、須磨の浦で詠んだものといわれる。

句碑は、高さ1.8メートル、幅1.5メートル、厚さ1メートル、重さ約5トンのひょうたん形の「どろかぶり」という仙台石。昭和59年4月26日建立

芭蕉蝸牛句碑

芭蕉蝸牛句碑「蝸牛角ふりわけよ須磨明石 芭蕉」

江戸時代前期の俳人松尾芭蕉(1644〜94年)が元禄年間に須磨を訪ね、古くからの摂津と播磨の国境であった堺(境)川のほとりで作った句。

古い句碑が西国街道堺(境)川付近にあったらしいが、今の碑は昭和11年4月建立。字は俳誌「正風」主宰の寺崎方堂が書いている。高さ約1メートル。

子規・虚子師弟句碑

子規・虚子師弟句碑「虚子の東帰にことづてよ須磨の浦わに晝寝すと 子規」
「子規50年忌 月を思ひ人を思ひて須磨にあり 虚子」

句碑の建立者は元県会議員酒井一雄。子規・虚子師弟の情誼に感激した同氏で、しかも名を刻まずに昭和28年4月建立。師弟碑というのは全国でも珍しく、碑面の字はそれぞれ直筆。

《須磨寺境内》

蕪村句碑

蕪村句碑「笛の音に波もよりくる須磨の秋 蕪村」

一ノ谷の合戦で討たれた平敦盛が持っていたとされ、今も須磨寺に保管されている「青葉の笛」にちなんで詠んだ句とされる。
現在書体で刻んだ句碑に加えて、蕪村の自筆を模刻した句碑が、平成18年10月7日に同寺源平の庭前に建立された。

子規句碑

「暁や白帆過ぎ行く蚊張の外 子規」

昭和9年9月、正岡子規33年忌に、弟子の1人、青木月斗により建立。子規が明治28年7月22日より1か月間、現在の須磨浦公園みどりの塔付近にあった「須磨保養院」で寮養中の作。碑高約2メートル。

尾崎放哉句碑

尾崎放哉句碑「こんなよい月をひとりで見て寝る 放哉」

自由律の俳人尾崎放哉は、大正13年6月より9か月間須磨寺大師堂の堂守として、無一物の生活こそ尊い真実と信じ、大正15年4月7日小豆島で死ぬまで清貧と孤高の生活に浸った。碑は昭和34年4月7日命日に建てられ、字は師の荻原井泉水が筆をとった。

西月句碑

「ふる雨も清水になるや花の奥 西月」

槇屋西月は天明元年(1781年)尾張生まれ、のち東須磨の毘沙門堂に庵を結んで西月老人と親しまれた。天保12年(1841年)1月28日死去。墓は西須磨墓地にある。

芭蕉句碑

芭蕉句碑「須磨寺や吹かぬ笛聞く木下闇 芭蕉」

昭和43年6月佐野千遊が建て、字を橋間石が書いている。

山本周五郎文学碑

山本周五郎文学碑「樅ノ木は残った」などの名作で知られる文豪山本周五郎(昭和46年没)は、大正12年9月の関東大震災で東京を離れ、須磨寺近くの友人を頼って半年を過ごした。その時の体験をもとに、文壇処女作「須磨寺附近」を文芸春秋(大正15年4月号)に発表、山本周五郎の文名も初めて名乗った。

この碑は、高さ2メートル、幅 2.5メートル、泥かぶりという仙台石が使われている。昭和59年4月7日建立。

《禅昌寺境内》

瓢水句碑

「本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉かな 瓢水」

滝瓢水、延宝6年(1678年)播磨国別府に生まれる。多くの名吟を残し、宝暦11年5月死去。1794年刊の『摂津名所図会』にこの句碑のことをしるしているからそれ以前のものである。明治から大正にかけての禅昌寺の紅葉は有名であり、現在もなおその面影を残している。

雀の子句碑

「雀の子ひとつ踏んでは親をみる」

この句については「一茶」という人もある。一茶を敬慕していた大平某氏が、船底板碑にこの句を書き、現在の場所に建てたが朽ちてきたので、昭和38年11月孫の大平孟が建てたものともいわれている。

芭蕉句碑

「友まつと見えず紅葉に1人かな 芭蕉」

禅昌寺に芭蕉が来たかどうか不詳だが、楓寺としての風情をよく表している句である。誰が建てたのか、いつごろのものか今のところわからない。

伊藤博文詩碑

「聞通老僧移錫処延文遺跡尚存留満山紅葉無人稀風色蕭々古寺秋 博文」

明治初年、伊藤博文が若くして初代兵庫県知事のころ、秋の一日この禅昌寺に観楓に来ての作。詩碑は1メートル足らずのものであるが、碑陰は昭和26年3月武貞一族大法要と刻まれている。

《現光寺境内》

芭蕉句碑

「見渡せばながむれば見れば須磨の秋 芭蕉」

延宝6年(1678年)松尾芭蕉35才の作である。
世に3段切の名句といわれ、句碑の立つ現光寺は「源氏物語」須磨の巻の舞台と伝えられる。昭和12年2月西須磨協議会により建てられ、高さ約3メートル。

《松風村雨堂門傍》

在原行平歌碑

「立ちわかれいなばの山の峯に生ふる
まつとしきかば今かへりこむ 行平」

小倉百人一首の中の有名な歌である。作者はもちろん在原中納言行平卿、松風村雨と共に須磨の歴史を彩る人である。歌碑は約2メートルの高さ。昭和16年7月須磨保勝会会長岡田定信の建立。

《関守稲荷神社内》

源兼昌歌碑

「淡路島 通う千鳥の鳴く声に
いく夜寝覚めぬ 須磨の関守 兼昌」

有名な百人一首の中の秀歌である。源兼昌は平安時代末期の歌人で、従五位下皇后宮少進。「須磨の関」はその頃すでに廃止されていたので、昔を偲んでの歌と思われる。昭和10年4月建立。

藤原俊成歌碑

「聞き渡る関の中にも須磨の関名を
とどめける波の音かな 俊成」

藤原定家歌碑

「桜花たが世の若木ふり果てて
須磨の関屋の跡うづむらん 定家」

震災で被害を受けた関守稲荷神社の改修工事の完成を祝い西須磨協議会が、歌碑2基を平成10年6月に建立。歌碑は御影石。古歌にちなみ、境内に桜の若木が植えられた。