西区の花 なでしこ

なでしこ 「美しく親しみやすいうえ、安価で入手できる、伊川谷町で古くから栽培されており西区と関係が深い」ことを理由に、1986年(昭和61年)12月に西区の花に選定されました。

西区の花 なでしこ なでしこのシンボルマークは、西区出身の日本画家左野柏樹さんがデザインしたもので、五弁の花びらはのぼりゆく朝日の鮮やかなピンク色、葉と茎は歴史と伝統を秘めた深い緑色で描かれています。

「なでしこ」 ひとくちメモ

 一口に「なでしこ」といっても、とても多くの種類があります。

文学の中の「なでしこ」

 夏の照りつける日差しがゆるみ、夕方にひんやりとした風が吹きはじめたころ、河原で可憐な花をつけるなでしこ。そのかわいらしい姿が幼い子供のようであるために「撫でし子」と名づけられたこの植物は、古くから私たちに親しまれてきました。

 野辺見ればなでしこの花咲きにけりわが待つ秋は近づくらしも(作者不明)

「万葉集」には、なでしこを詠んだ歌がこの歌のほかにも25首あります。秋の七草として知られるとおり、この花は奈良時代から秋の到来を私たちに告げていたのです。

 草の花はなでしこ。唐のはさらなり。大和のもいとめでたし。(「枕草子」)

平安時代には中国から石竹(せきちく;唐なでしこ)が伝来し、やまとなでしことも河原なでしことも呼ばれる在来の種とともに見受けられるようになりました。「源氏物語」にも光源氏が六条院を完成し、そこに「撫子(なでしこ)、薔薇(そうび)、苦膽(くたに)などやうの花のくさぐさを植えて」とあるように、当時の貴族の庭園にも植えられていたようです。

 東三条院、皇太后宮と申しける時、七月七日撫子合せせさせ給けり。(「古今著聞集」)

平安時代の貴族は、育てた花の優劣をあらそう「花合わせ」という風流な遊びを楽しんでいましたが、なでしこもその対象となっていたようです。また、当時の衣服の襲(かさね)の色目にも、撫子色(表が紅、裏が青)というのがありました。

 草は山吹、藤、かきつばた、なでしこ。(「徒然草」)

はなやかさが追い求められた貴族の時代から、落ちついた趣のあるようなものが好まれるようになった中世でも、なでしこは愛好されていました。

 江戸時代になると庶民の生活も比較的豊かになり、なでしこもさかんに園芸栽培されるようになりました。そして河原や野原にもなでしこが咲き満ちていたのです。

 おじぞうや花なでしこのまんなかに(小林一茶)

 近代になり、西洋文明を積極的に取り入れようとして以来、コスモス、サルビア、パンジーなど欧米渡来の花が公園に植えられるようになりましたが、

 湯上りの好いた娘がふくよかに足の爪剪(き)る石竹の花

と北原白秋が詠むとおり、従来からの花もあちらこちらで植えられています。

 このように、いつの時代も日本人は、この美しい自然の中に生き、これと調和して生活しながら、日本の文化を生み築いてきたのですね。