きて!みて!岩岡町!!

農村集落

農村集落岩岡町内には印籠池やのどかな農村風景が広がっている。

岩岡神社とまつり

岩岡神社とまつり播磨平野を一望できる台地にある岩岡神社は、1682年(天和2年)に神出から大岩を迎えて祀ったことに始まり、1693年(元禄6年)に本殿幣殿拝殿を建立し、姫路の廣峯神社より分霊を勧請した。岩岡町と神出町の西部を氏子とし、明石藩主松平直明と農業の神「素盞鳴命」を祭神としている。春祭では相撲が奉納される。秋の大祭には天狗が現れ、神輿、お先太鼓、各地区より約10台のふとん太鼓やご神燈「ねりあんど」が、木やり音頭にあわせて宮入りし、その威勢のよさを競いあう。また、獅子舞がその妙技を披露する頃には、祭りも最高潮となり、一大祭り絵巻が繰り広げられる。日が西に傾く頃になると神事が終わる。ふとん太鼓が夕日に映え、あるいは七色の電飾に浮かびながら帰路につく風景は、情緒豊かで一日の充実をにじませ、その余韻を惜しむかのようである。

翁の面(豊宮)

翁の面(豊宮)岩岡神社社務所横の土蔵の地下深くに祀られている。「豊宮さん」としてあがめられ、旱魃の際に地下より取り出され、雨が降るように祈った。伊勢の宮川で拾われた伝説があり、明治時代になって松平直明を祀っている岩岡神社に納められ、1955年(昭和30年)8月の日照りの時にも「面がけの神事」をして雨乞いをすると雨が降ったという。

赤坂西場講中祇園囃子

赤坂西場講中祇園囃子岩岡神社大祭(10月10日)に宮本講中として御神燈を祇園囃子に合わせて宮入りをしているほか、太鼓を奉納している。1955年(昭和30年)過ぎまでは早口や俄芝居を奉納し、見物人を楽しませていた。草取り唄は広い田の草をとるのに気持ちや疲れを紛らす唄として唄われた。

宮本講中祗園囃子、納め太鼓、早口、草取り唄

宮本講中祗園囃子、納め太鼓、早口、草取り唄岩岡神社大祭(10月10日)に宮本講中として御神燈を祇園囃子に合わせて宮入りをしているほか、太鼓を奉納している。1955年(昭和30年)過ぎまでは早口や俄芝居を奉納し、見物人を楽しませていた。草取り唄は広い田の草をとるのに気持ちや疲れを紛らす唄として唄われた。

秋田の獅子舞

秋田の獅子舞秋田には獅子講という古くからの組織があり、毎年7月9日の夏祭りと10月9日(宵宮)、10日(昼宮)の秋祭の2回獅子舞を奉納する。元禄年間の頃から継承されていると伝えられ、古い太鼓や衣装箱が現存している。獅子の油単や天狗の衣装はこの付近では珍しい黒地に牡丹の花模様である。

上新地の獅子舞

上新地の獅子舞上新地の獅子舞は1927年(昭和2年)10月17日の秋祭に五穀豊穣と家内安全を祈願し、岩岡神社に奉納されて以来、今に至っている。4月第3土曜日の春祭では上新地の八幡神社と竜が岡の大歳神社に、10月10日の秋祭では岩岡神社に奉納する。

黄色タバコ発祥の地

黄色タバコ発祥の地元禄年間以来、赤坂葉とよばれたタバコを栽培していた兵庫県明石郡岩岡村(現・神戸市西区岩岡町)において、1900年(明治33年)、日本で最初に「米国種黄色葉タバコ」の耕作が行われました。その後改良を重ね、1906年(明治39年)、わが国初の米国種黄色葉タバコの栽培指定地に定められた。翌年には専売局大阪収納所岩岡取扱所が建設され、以後栽培面積も増えたが、戦後、青果物栽培へ移行し、現在では栽培農家は皆無です。記念碑は神戸市西区岩岡町の「上新地中公園」内の一角にあり、シガレットの原料に必要である黄色種の誕生の経緯を後世に伝えています。

岩岡町の旧家屋

岩岡町の旧家屋赤坂には約130年前に建築された久森仁右衛門宅がある。

金覚寺

金覚寺野中にある浄土真宗の寺院で、1681年(天和元年)教壽師により開基された。中興の祖である周観法師が京都本願寺へ出した寺号御下附の奉願書の中には「1670年代(延宝年間)に細流のほとりに一草庵を築く」とある。高い大屋根が特徴で、現在の銅版屋根は1973年(昭和48年)の工事による。

大師井戸(錫井戸)

大師井戸(錫井戸)破れた着物をまとい、喉がからからになって岩岡の里に辿り着いたお坊さんが、農家のおばあさんが大事に取っておいた水を頂いた。お坊さんはとても喜んで、持っていた錫杖を庭に突き立てると、そこから清水が涌き出した。不思議な力を持ったお坊さんは弘法大師だったと言い伝えられ、この井戸は大師井戸や錫井戸と呼ばれてい
る。

野中の清水

野中の清水どんな日照り続きの時も清水が湧き出ていて、日本五水のひとつとも播磨十水のひとつとも言われた。古今和歌集に「いにしえの 野中の清水 ぬるけれど もとの心を 知る人ぞ汲む」と詠まれている。1690年(元禄3年)頃松平直明が茶の湯に使ったといわれている。1996年(平成8年)に周辺に公園が造られた。

国立研究開発法人情報通信研究機構 未来ICT研究所

国立研究開発法人情報通信研究機構 未来ICT研究所関西での拠点づくりを目指し、岩岡の近畿電波監理局の土地と建物を譲り受け、平成元年に「関西先端研究センター」として当初4つの研究室で発足した。一時 10研究室が運営されていたが、現在は7研究室。遠くからでもそれとわかるログペリアンテナ等があり、地域の目印となっている。2004年(平成16年)4月から独立行政法人 情報通信研究機構 関西先端研究センターとなった。

四ツ塚灯台

四ツ塚灯台昔、三木から姫路へたどる旧三木姫路街道は、雌岡山を目標に南下してくると岩岡で目標物が無くなり、日が暮れたり霧が出たりすると道に迷うことが多かった。そこで、街道沿いに、陸の灯台(灯明台の略)が置かれたと伝わる。
陸の灯台は、神出の練部屋、岩岡の上村、野中あたりに置かれたとされ、この上村「四ツ塚灯台」のほか、練部屋の大歳神社でも修理・再建されている。

いちごのハウス栽培

いちごのハウス栽培1965年(昭和40年)に明石市清水から宝交早生の親株を購入し、広古でトンネル栽培されたのが現在のハウス栽培の始まりである。1967年(昭和42年)にハウス抑制栽培が、1973年(昭和48年)には促成栽培が導入され、12月のクリスマス用から翌年6月末にかけての長期出荷体制が実現した。糖度の高い岩岡朝どりいちごの人気は高い。

イチジク栽培

イチジク栽培1963年(昭和38年)に広古・天ヶ岡に植え付けられたのが最初である。当時慢性的な水不足に悩む当地で栽培可能であり、比較的農閑期の夏場に収穫する品目として取り入れられた。1966年(昭和41年)からハウス栽培の早出しが始まった。岩岡のイチヂクは地元消費者の人気が高く、神戸・大阪市場から引き合いが強い。

岩岡の観光ぶどう園

岩岡の観光ぶどう園1955年(昭和30年)に払い下げられた国有林を開拓してデラウェアーとキャンベルが、1960年(昭和35年)の第2次払い下げ時にはベリーAが新植され、約10ha のぶどう産地が誕生した。当初は市場出荷していたが、成園になり収穫と選別の重労働から1965年(昭和40年)頃に個々の生産者が入園者を募ったのが観光ぶどう園の始まりである。

キャベツ栽培

キャベツ栽培1947年(昭和22年)頃に酪農との複合経営として進められてきた。当初からキャベツの残渣と牛糞をリサイクル資源として交換し活用することで環境保全にも貢献してきた。1960〜1965年(昭和35〜40年)に飛躍的に面積拡大したが、近年、輸入の増大や高齢化などで栽培面積は漸減している。しかし、有機減農薬栽培の導入による安全で美味しいキャベツづくりが進んでいる。

岩岡神社とまつり

播磨平野を一望できる台地にある岩岡神社は、1682年(天和2年)に神出から大岩を迎えて祀ったことに始まり、1693年(元禄6年)に本殿幣殿拝殿を建立し、姫路の廣峯神社より分霊を勧請した。岩岡町と神出町の西部を氏子とし、明石藩主松平直明と農業の神「素盞鳴命」を祭神としている。春祭では相撲が奉納される。秋の大祭には天狗が現れ、神輿、お先太鼓、各地区より約10台のふとん太鼓やご神燈「ねりあんど」が、木やり音頭にあわせて宮入りし、その威勢のよさを競いあう。また、獅子舞がその妙技を披露する頃には、祭りも最高潮となり、一大祭り絵巻が繰り広げられる。日が西に傾く頃になると神事が終わる。ふとん太鼓が夕日に映え、あるいは七色の電飾に浮かびながら帰路につく風景は、情緒豊かで一日の充実をにじませ、その余韻を惜しむかのようである。

農協市場館 JAピカリショップ

農協市場館 JAピカリショップ地元の女性たちが主体となって切り盛りする店。春から夏にかけてはナス、ブロッコリー、イチジクなど朝どりの野菜や花をたくさん取り扱っている。また野菜や花のほか、女性グループによる手作りパンや、のじぎく味噌なども販売している。