長田区は市の中央部よりやや西に位置し、北に高取山、南に海、新湊川、苅藻川に形づくられた南北に細長い区域です。その歴史は古く、条里制の痕跡が今でも残っています。明治から大正期に市街地の開発が行われました。


戦争による市街地の罹災もありましたが、罹災を受けなかった家屋も多くありました。戦後は丸山を中心として住宅開発が進み、山麓部にも市街地が広がりました。庶民的住宅のまち、中小企業のまちとして利便性の高い下町情緒のあふれるまちです。

長田区は、兵庫区とともに神戸西部地域における重厚長大型産業の中心として、また、マッチ・ゴム・ケミカルシューズなどの地場産業の活況により神戸経済を支えてきました。
さらに、産業を基盤にして地域に根ざした商店街や小売市場が軒を連ね、住居と職場とが一体となった下町のコミュニティが形成されてきたまちです。区内の人口は、太平洋戦争直前の昭和15年(当時、林田区)には229,356人で全市の23.7%を占めていましたが、戦後においても、産業の発展とともに再び順調に伸び、昭和42年には214,566人と、戦前のピーク時に迫る勢いを示しました。
しかし、社会経済情勢や産業構造の変化等から、人口の減少や高齢化、地場産業の停滞など、いわゆるインナーシティ現象が顕著になっており、商店街や小売市場についても、消費者ニーズの変化、都市機能の更新の遅れなどから活力が低下してきています。
また、平成7年1月17日に発生した兵庫県南部地震により、長田区をはじめ、既成市街地は大きな被害を受けました。とりわけ長田区内では、地震で直接921名の尊い命が犠牲になるとともに、家屋は全半焼が4,772棟・約30ヘクタール(市内の全半焼の約6割)、全半壊が23,803棟(市内の全半壊の約2割)にのぼるなど壊滅的な打撃を受け、区内の人口(平成7年10月1日)では96,807人(昭和42年の45%)となっています。
こうした現状にあっても、長年培われてきたコミュニティや人情味ある豊かなふれあい、内外からの数多くのボランティアの活動、自らの手によるまちづくりへの意欲などから、長田区には、震災を乗り越え、21世紀を展望したまちづくりを推進していくエネルギーを十分に伺うことができます。