ながたの民話

最終更新日
2008年3月1日

行基と蓮の池

1、蓮池のはじめ(蓮池町・旧池田村)

1250年ほど昔、奈良時代に仏教を広め、庶民を救済しようと畿内を巡回していた行基(ぎょうき)が、この地にやってきた。
 高取(たかとり)の山すその農民がいつも水不足に悩まされていることを知った行基は、 「ここにため池を築いて、人人を救ってあげよう」と考えた。
 彼の指導で、苅藻(かるも)川の水を八雲(やくも)橋あたりで引き取り、今の山陽電鉄西代(にしだい)駅の北方に広大なため池ができた。その提の上にのぼった行基は、 「極楽浄土には、美しい蓮(はす)の花が咲き乱れる八功徳(はちくどく)の池というのがある。この池も極楽の池のように、これから蓮が咲くであろう。そして、その水でまわりの村は豊かになるであろう。」と、一株の蓮を池の中に投げこんだ。
 まもなく池には、毎年美しい蓮が咲くようになり、人々はこの地を「蓮の池」と呼ぶようになった。 また一説には、源平合戦のときに平重盛(たいらのしげもり)の家臣の蓮池権頭家綱(はすいけのこんのかみいえつな)が、この池のほとりで討死したことから、蓮池という名が起こったともいう。  
【ノート】
 後世、この池のあたりにできた集落は蓮の池のそばであったことから、池田村と名付けられた。 蓮の池は昭和6年に埋めたてられ、そのあとに市民グラウンドや蓮池小学校などが建っている。埋め立てた当時は、蓮ではなく菱(ひし)が多く繁っていたという。秋には、近くの人がたらいを池に浮かべてそれに乗り、菱の実をとったという。