長田区ってこんなまち

最終更新日
2016年10月11日

長田区ってこんなまち

見どころ

区の概要

沿革

長田区は市の中央部よりやや西に位置し、北に高取山、南に海、新湊川、苅藻川に形づくられた南北に細長い区域です。その歴史は古く、条里制の痕跡が今でも残っています。明治から大正期に市街地の開発が行われました。

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  • 市場

戦争による市街地の罹災もありましたが、罹災を受けなかった家屋も多くありました。戦後は丸山を中心として住宅開発が進み、山麓部にも市街地が広がりました。庶民的住宅のまち、中小企業のまちとして利便性の高い下町情緒のあふれるまちです。

  • 再開発

区の特徴

現状

工場長田区は、兵庫区とともに神戸西部地域における重厚長大型産業の中心として、また、マッチ・ゴム・ケミカルシューズなどの地場産業の活況により神戸経済を支えてきました。
さらに、産業を基盤にして地域に根ざした商店街や小売市場が軒を連ね、住居と職場とが一体となった下町のコミュニティが形成されてきたまちです。区内の人口は、太平洋戦争直前の昭和15年(当時、林田区)には229,356人で全市の23.7%を占めていましたが、戦後においても、産業の発展とともに再び順調に伸び、昭和42年には214,566人と、戦前のピーク時に迫る勢いを示しました。
しかし、社会経済情勢や産業構造の変化等から、人口の減少や高齢化、地場産業の停滞など、いわゆるインナーシティ現象が顕著になっており、商店街や小売市場についても、消費者ニーズの変化、都市機能の更新の遅れなどから活力が低下してきています。

航空写真また、平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災により、長田区をはじめ、既成市街地は大きな被害を受けました。とりわけ長田区内では、地震で直接921名の尊い命が犠牲になるとともに、家屋は全半焼が4,772棟・約30ヘクタール(市内の全半焼の約6割)、全半壊が23,803棟(市内の全半壊の約2割)にのぼるなど壊滅的な打撃を受け、区内の人口(平成7年10月1日)では96,807人(昭和42年の45%)となりました。

バラール仮設市場こうした現状にあっても、地域住民は、自らの生活を立て直し、地域での支えあいの輪を広げ、明日への希望を持って一歩一歩前へ進んできました。また、国内外からは、あたたかいご支援を多数いただきました。
平成21年10月には、若松公園に鉄人28号のモニュメントが完成しました。大勢の方が、まちを訪れており、長田のまちは輝きを取り戻しつつあります。
しかし、少子高齢化社会の進展、不況に伴う産業・商業の停滞という難題も依然山積しています。このような時代だからこそ、人と人の絆の大切さ、支えあう心の尊さといった、震災で培われた教訓を決して風化させることなく、次世代へと引き継いでいかなければならないと考えます。