史跡・遺構

最終更新日
2017年3月28日

 悠久の昔から先人たちが夢をはぐくんだ遺跡、万葉の悲恋をしのばせる古墳、戦乱の世に命をかけて疾駆する強者どもを見守り続けた城跡、技術の粋を集めたトンネル、今もなお地域の人たちに愛され続けて名物行事の舞台ともなっている塚などなど、ユニークな史跡が数々あります。昔があなたに語りかけるものは・・・?

赤松城跡

赤松城跡 現在の神戸大学の敷地の一部が赤松城跡と言われています。鎌倉時代末期の元弘3年(1333年)、播磨の豪族赤松円心が大塔宮護良親王の命令を受けて兵を挙げ、鎌倉幕府の京都六波羅探題の軍と戦ったことは「太平記」などに詳しく記されています。円心は居城であった上郡の白旗城からこの地に赴き、南朝のために幕軍と戦ったと伝えられています。

石屋川トンネル

石屋川トンネル 灘区の東端にある石屋川は、水害予防のために、川床の土砂を掘って土堤に積み上げ、高い丈夫な土堤を築造しました。そのため川床が平地よりも高い天井川になってしまいました。明治7年、東海道線は平地を走っていましたので、石屋川と東灘区の住吉川と芦屋川は、ともに川床の下にトンネルを造り、鉄道を敷設しました。昭和51年11月、鉄道が高架になって、石屋川の上を走るようになり、今は人や車が通っています。

鬼塚(照光寺内)

鬼塚(照光寺内) 水道筋商店街の東端にある照光寺の中に3メートル×2メートルの玄室(遺体を安置する室)を持つ横穴式古墳があります。築造年代は石室から出土した人骨、須恵器、鉄器等の遺物から、古墳時代後期(7世紀前期)と推定されます。盛り土が取り除かれて、古墳を彷彿させるものは、石組のみとなってしまいました。
 『摂津名所図会』に「鬼塚 篠原村にあり、むかしここに鬼棲みし所也」と記載があります。

上筒井線の分岐線

上筒井線の分岐線 阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)は1936年、三宮に神戸駅(現神戸三宮駅)を設置し、新線と旧線の分岐駅に西灘駅(現王子公園駅)を設置しました。この西灘駅と上筒井駅(それまでの神戸線の終点であった)との間を従来の路面軌道を1両の電車が運行する上筒井線として存続させましたが、その後、1940年に廃線となりました。その上筒井線の名残である分岐線が、王子公園駅の東側に残されており、阪神・淡路大震災当時は、その分岐線から車両を運び入れることで、いち早く王子公園〜御影間の運行が再開されました。

桜ケ丘遺跡

桜ケ丘遺跡 昭和39年、桜ケ丘町で壁土用の土砂を採取中に大・小14口の銅鐸と7本の銅戈が発見され、昭和45年に国宝に指定されました。銅鐸は弥生時代(約1,800年〜2,000年前)につくられた国産の青銅器ですが、複数の銅鐸が出土した例は多くはありません。現在、神戸市立博物館に保存展示されています。

水車新田

水車新田 江戸時代の中ごろ、新しく田を開くことと水車を使って仕事をすることを目的に水車新田村が作られました。その後、都賀川上流の傾斜面の川水を利用して、灯油用に菜種を搾る目的での水車業が盛んになりました。1,800年代初頭以降、幕府の統制で原料の菜種の入荷が減ったことや各地に水車業が興ったこともあり、灘の酒造用の米をつく水車に転換。灘の酒造りに大きな役割を果たしました。大正の末から昭和の初め頃、電気精米、蒸気精米が進むにつれ衰退し、今では地名を残すのみとなっています。

高橋(タカバシ)

高橋(タカバシ) 明治7年5月、神戸と大阪間に鉄道が開通。同40年、現在のJR灘駅の約300メートル東のところにあった旧灘駅から、中央区の海岸小野浜駅にかけて貨物専用レ−ルを敷き、臨港線を分岐させましたが、この鉄道をまたいで造られた跨線橋を「灘のタカバシ」と愛称で呼びました。当時のタカバシは明治調の赤レンガの橋で、風格ある姿が注目を集めました。

西求女塚(にしもとめづか)古墳

西求女塚(にしもとめづか)古墳 万葉集に詠まれ、悲恋伝説の舞台にもなった3世紀後半の前方後方墳。平成5年1月から9月にかけて大がかりな発掘調査が行われ、邪馬台国の女王・卑弥呼(ひみこ)が魏(ぎ)の国王から授かったといわれる三角縁神獣鏡7面をはじめ12面の鏡や鉄刀、鉄剣、鉄斧など貴重な多数の副葬品が出土しました。平成13年の調査で奈良県桜井市の箸墓古墳と同様の撥(ばち)形に開く古式の前方部を確認しました。現在、古墳は求女塚西公園として、地域の憩いの場となっています。古墳は、平成17年3月2日国の史跡に指定され、鏡などの出土品は平成17年6月9日国の重要文化財に指定されました。

摩耶史跡公園

摩耶史跡公園 摩耶史跡公園は、山頂より少し下にあった摩耶山天上寺が昭和51年に火災にみまわれ、山上の草創の地へ遷寺した跡地を整備して史跡公園となりました。摩耶山天上寺の急な石段を上り詰めたところにあり、市街地の眺望が素晴らしい所です。
 周辺には杉の大木などが鬱蒼と茂り、原生林的な雰囲気に包まれています。太平記に登場する摩耶山城の史跡でもあります。