みち

最終更新日
2016年12月8日

 天然の氷を切り出すために使われた道。また、多くの旅人が往来した街道から、酒蔵の間にひっそり存在した小道まで、灘区には様々な用途に応じた道があります。人、歴史、生活、風情・・・さまざまな想いを今に伝えるこれらの道はまさに人生の喜びや悲しみを受け止めてくれる道でもあるのです。ぜひ、一度歩いてほしい道です。

旧西国街道・旧西国浜街道

旧西国街道・旧西国浜街道 古代、大陸文化の窓口であった九州・太宰府と京都・奈良を結ぶ幹線道路として、山陽道が開かれました。近世には「西国街道」と呼ばれるようになり、参勤交代の大名行列や荷物を運ぶ飛脚、行商人などが盛んに行き来したといいます。また、江戸中期以降、酒造りや水運業が発達するなか、西国街道のバイパス的な庶民の道として、芦屋から灘方面の海岸近くの村々を貫いていたのが「西国浜街道」です。

酒蔵のみち

酒蔵のみち 灘の酒は、享保年間(1716〜36年)には天下に知られ、樽に詰め「灘の生一本」として樽回船で江戸へ運ばれていました。醸造の発展要因として、宮水の発見、良質な播州米や吉野杉の樽、丹波杜氏の技術、六甲の寒気などの条件に恵まれたことなどがあげられます。現在の灘五郷は西宮市の今津・西宮郷、神戸市東灘区の魚崎・御影郷、灘区の西郷です。西郷では昔ながらの酒蔵が阪神・淡路大震災で倒壊しましたが、それでも周辺を歩くと今なお酒蔵地域の特有の雰囲気が感じられます。

水道筋

水道筋 大正時代、西宮から神戸に水道管が通され、それに沿うように畑原東から稗田を通る道ができました。それに伴い、人が集まるようになり、やがて商店街へと発展していきました。水道筋は、青谷川から東に都賀川までの6丁からなり、7つの商店街と3つの市場が集まり、市内屈指の規模を誇る商店街地域となっています。

長峰坂

長峰坂 灘区の北東に位置する長峰中学校に通じる区内屈指の傾斜度の急な坂があります。全長550メートルのこの坂は、通称「長峰坂」と呼ばれています。通学路にもなっており、生徒たちはこの急な坂を往復しています。
 北へ続く道は杣谷を抜け、摩耶山頂へつづくため、ハイキングコースとしても人気があります。
 ここからの眺望や夜景は美しいです。

徳川道

徳川道 兵庫開港により、外国人と大名行列との衝突を避けるため、西国街道の迂回路として背山に作った道が世にいう「徳川道」です。慶応3年(1867年)に着工し、約1か月の突貫工事で完成しました。石屋川で西国街道と分かれ、今の護国神社の西から山道に入ります、杣谷から森林植物園の中を通って、小部、白川、高塚山を経て明石の大蔵谷で再び西国街道と合流します。約33キロの道で、現在、摩耶山裏の谷筋が「徳川道」のハイキングコ−スとして整備されています。

摩耶山青谷道・上野道

摩耶山青谷道・上野道 摩耶山の登山道で代表的なものは青谷道と上野道。青谷川に沿って登り、馬頭観音のある妙光院を左に見て間もなくすると青谷道の登山道の入口に到達します。川沿いの道を登るうちに谷が大きく開け、しばらくすると行者茶屋に到着。行場の前の橋を渡ってかなり急な階段状の道をジグザグに登ると、仁王門付近でケーブルからの上野道と合流。仁王門を過ぎると摩耶山名物の階段があり、登りきると旧天上寺跡に到着。さらに20分程で掬星台へ。途中の鬱蒼たる森林は都会の雑踏を忘れさせてくれます。

六甲山アイスロード・シュラインロード

六甲山アイスロード・シュラインロード 明治の頃の六甲山頂は、厳冬期には零下14〜15度まで下がり、池に分厚い氷が張り詰めました。明治17〜18年頃には氷を切り出して町まで運ぶ氷店が始まり、氷を運び降ろす道がアイスロ−ドと呼ばれました。現在はハイキング道として整備されています。今も山頂に散在する池の大半は、氷を取るために掘られた池です。シュラインロ−ドは唐櫃道、行者道とも呼ばれ、アイスロ−ドを登りきったところから裏六甲の唐櫃に出る道で、たくさんの野仏が立っています。