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最終更新日
2006年8月23日

東灘小史

中世の東灘

政治の担い手が貴族から武士へと変わり、その中でも平家が政権をとった。その平家と源氏が古代から中世への節目となった源平の争乱を戦いこの東灘もその舞台となった。平家物語や源平盛衰記などの文学作品には雀の松原・御影といった地名が登場し、一の谷の戦いでは源範頼がこの辺りに陣を張ったという。

鎌倉から室町時代への移行期である南北朝時代には湊川の戦が行われ、楠木正成が東灘を通って湊川へ向かい、その戦いで敗れた新田義貞は処女塚で足利軍と一戦を交えた。その後将軍となった足利尊氏は内紛で弟直義と観応の擾乱をおこし、両者は打出・御影浜で戦った。このような戦乱の中、この地方の土豪は平野城や山路城を築いている。

戦乱の中、農民たちの結束も固まり郷村ができ、東灘にも森・中野・小路・北畑・田辺・岡本・野寄・田中(以上、旧本山村)、深江・青木・西青木(以上、旧本庄村)、魚崎・横屋(以上、旧魚崎町)、住吉(旧住吉村)、御影・郡家・西平野・石屋・東明(以上、旧御影町)といった村々が戦国時代の末にはできあがった。

東灘の郷村