神戸市-KOBE-


阪神・淡路大震災 消防職員手記(消防局本部・消防機動隊)

悪魔の大震災(1995年4月号掲載・松田 明雄)

当日の状況について

 1月17日午前5時46分は、夢の中にいた。前日までの連休中は、市民駅伝大会(2月18日開催予定)の練習のため総合運動公園の外周を走り回った。夢の中で急な坂道を登りながら苦しい、頭がくらくらすると思っていたら何故か体もぐらぐらする。しばらくは(1秒にも満たない時間)体の自由が利かなくなってしまった。体が勝手に動いているといった感じがした。しかし、我にかえってみるとあの恐ろしい地震の真最中であった。慌てて隣に寝ている妻に覆い被さった。
 一呼吸して真暗な中で妻の無事を確認し、子供部屋に寝ている長男(7歳)長女(4歳)の名前を叫んだ!しばらくして「お父さん!」と呼ぶ声がした。
 子供部屋に入ろうとして襖を開けようとしたが動かない。激震のためか動かない。少々焦りを感じながら渾身の力を込め足で蹴りながら動かしてみた。動いた!僅かに20〜30センチの隙間が開いた。体をねじ込んで子供部屋へ入った。暗闇に本の山が見えた。やばい!と思った。その時、布団が動くのが見えた。子供は布団にもぐり込んで無事であった。パジャマ姿の二人を抱えて寝室に戻った。一部壁が落ちて砂ぼこりがたっていた。
 実家(岐阜)に電話をかけてみたが、繋がらなかった。情報を得ようと携帯ラジオを聴いても状況がよく判らなかった。この時点(午前6時頃)で私は、神戸より私の実家(岐阜)もしくは妻の実家(神奈川)が「やられた」と思っていた。それ程までに私は、「神戸は安全である」という神話の虜になっていた。
 緊急連絡網にしたがって電話を掛けてみたが、繋がらなかった。家族を痛んだ建物には置いておけない(私は昨年6月に採用され家族は8月から神戸にきて半年も経っておらず近くに頼るべき人もいないので)と考え、自動車でいっしょに職場へ向かった。
 国道2号線までは順調に進んだが、いったん国道2号線に入ったら大渋滞で塩屋駅まで1時間かかった。このままでは駄目だと思い、緊急連絡網の前後の職員宅へ行きそれぞれ出勤したと聞き自宅に戻った。家族を自宅に残し再び自動車で職場に向かった。国道2号線は相変らず大渋滞であった。先程よりも状況は悪化していた。
 やむなく自宅に戻り今度は自転車で向かうことにした。古い家で心配そうな顔の長男に
 「困った人を助けてあげるのがお父さんの仕事だから」
 と言って家を出た。内心家にいて家族を守らなくてはとも思ったが、出かけた。須磨までは、ずらりと並んだ自動車の隙を縫うようにして自転車を飛ばした。須磨寺では、69期初任科で一緒だった職員に会い
 「松田さん何してるんですか!ヘリコプターで何とかしてください。水が出ません」
と言われ、異常事態をいよいよ肌身で感じ焦った。至る所で火災が発生しており、道路は壊れビルは倒壊し、信じがたい光景であった。
 神戸駅辺りで国道2号線は、封鎖されており北側へ迂回して中華街を経由して三宮に入った。倒れたビルの瓦礫の中を神戸大橋へと向かった。神戸大橋の車道は、通行止めになっており歩道を走った。途中つなぎ目が5〜10センチほどずれて海が覗けた。ポートアイランドにようやくたどり着いたが、そこは一面の泥沼で深い所は20センチもあった。これが液状化というものかと思い、泥沼の中を自転車で走った。
 途中チェーン等に砂が詰まって動かなくなった。自転車から降りて、自転車を道路に叩きつけるようにして詰まった泥を落として再び走った。ようやくヘリポートに着いたのは午後2時であった。完全に出遅れた。ヘリ3は、午前中から飛行しており、その時も飛行中であった。ヘリ1をエプロンに出すところであったので手伝った。ヘリ1は燃料給油のため大阪国際空港に向かい(神戸へリポートの給油施設は、燃料会社の社員が出勤できず稼動していなかった)帰りに燃料会社の社員を乗せてきた。
 私はヘリポートで運航管理の任に就いたが、電話はほとんど繋がらなかった。ヘリコプターから入ってくる情報から機動隊長が防災センター(神戸市北区)への移動を決意された。我々は午後5時頃神戸へリポートを離れヘリ1、ヘリ3と隊員9名で防災センターへ向かった。
 17日は防災センターの、以前使用していた格納庫及び事務所の整理をして翌日からの活動に備えた。

飛行内容

 1月17日は、情報収集が中心に実施された。救援物資搬送は当初2週間特に弁当パン等の食料を中心に実施した。18日に航空部隊の会議を実施した。18日早朝の段階では、山崎パンの工場から東遊園地(三宮)まで可能な限り運ぶという情報しかなく、準備不足の中で会議を始め、参加された方々(千葉、東京、川崎、横浜、名古屋、京都、埼玉、岐阜、香川の消防・防災航空隊)に多大な迷惑を掛けた。
 会議の途中で山崎パンの工場近くの中学校のグランドを半ば強引にお願いして臨時の離着陸場とさせていただいた。この件に関しては、吹田消防及び中学校関係者の方のご協力に感謝しております。
 山崎パンの工場近くの中学校のグランド〜東遊園地のルートでは一度に投入できる機数は、5機が限界(飛行にかかる時間は10分程度なので離着陸時等に上空待機することになる)であるので午前午後の2班に分けることにした。
 18日午後には六甲アイランドの生協から食料を出していただけることになった。また、臨時離着陸も増加させることができたので別のルートを作成することになった。
 臨時離着陸場では、民生局の職員により誘導等をしていただいたが、事前の打合せができなかったので大変ご迷惑をお掛けした。
 19日からは、スケジュールを事前に作成することができるようになり作業の流れがよくなった。また、陸上自衛隊の大型ヘリコプター(チヌーク)が救援物資を王子公園まで運び、消防関係のヘリコプターが、各地点まで運んだ。
 20日には、救助事案が発生した。六甲山系の大月地獄谷で17日に滑落した垂水区の医師が20日午後に発見されヘリ3が救助に向かった。
 現場は、滝の横で上空からは見えなかった。上空で旋回をしていると、堰堤の上で手を振っている人が見えた。気流の状態を確認しながら、木々が左右から迫る狭い谷間に進入していった。堰堤上空で左右の松の枝に注意しながらホバリングした。幸いにして救助隊員が堰堤上にラペリング降下できた。要救助者と救助隊員をホイストで揚収して平磯(垂水区)のグランドに向かった。垂水の救急隊に引き渡し、神戸へリポートに向け飛行しているときにこの震災の中あの地獄谷から救出される強運の人もいるのかと不思議な感じがした。

飛行上感じたこと

 当初2日間各航空機は、それぞれの機長の判断とパイロット共通のコモンセンスにより運航されていたというのは、神戸市内の縦横5〜10キロ高さ150〜400メートルの間に常時10機以上のヘリコプターが飛行していたが事故もなく運航されていたからである。
 この震災に際して飛行された各パイロットの航空安全を保つ努力に敬意を表したい。今回の震災に限らず事故現場上空において無理な飛行をする取材機が散見されるのが残念だが、今回は取材機相互が無理な飛行をするヘリコプターに注意を受けたパイロットもそれ以後反省して安全に配慮して飛行したことはすばらしいと感じた。
 19日以降は、通常航空機相互間で使用する122.6メガヘルツで王子公園を中心に陸上自衛隊が航空機の運航状況の通報業務をするようになり航空安全に大きく寄与した。また消防、防災関係の航空機には135.2メガヘルツを使用して防災センターを中心に神戸消防機動隊が航空機の運航状況通報業務をした。運航スケジュールについては、自衛隊、海上保安庁、消防関係と連絡を取り合って時間の経過と共にスムーズに行われるようになった。

心残りなこと

 私は学生時代を含めて11年間自衛隊で勤務し、その後5年間民間人として働き、昨年6月から神戸市消防局にて勤務している。これらの経験を踏まえた時心残りなことがある。
 危機管理において第一に重要なことは、初動体制の確立であると考える。私のとった行動は、果して消防職員として最善の判断であったかどうか?未だに自分自身で解決できないでいる。今回罹災した神戸市職員は、救助する側であり、又救助される側でもあったのではないか?
 私はまず家族の安全を考えて行動した。前にも述べたように当初家族を連れて出勤しようとした。地震があってすぐに自転車で出勤すればもっと早い時間にヘリコプターを飛ばせることができ、ヘリコプターからの情報により多くの方の命を助けることができたのではないか? 私自身に有事即応の態勢ができていなかったことが心残りである。

ヘリコプター運用全般について

(1)ヘリコプターの活用方法について
 ヘリコプターの能力を十分発揮するための研究をさらに進めるべきであると感じた。
(2)運航体制について
 毎日勤務体制から三六五日体制への移行が望ましいと考える。又可能な限り職場の近くに住まわせることも考えるべきである。
(3)へリポートについて
 24時間運用する必要があると考える。又有事の際は、使用に制限を加える必要があると考える。
(4)航空法について
 航空法第81条の2(捜索は救助のための特例)に消火活動を加え第97条(飛行計画及びその承認)についても特例を設けるべきだと感じた。

おわりに

 震災の爪痕が深く残り、多くの市民の方が避難所で生活されています。一日も早く復興し、災害に強い「防災都市神戸」の一翼を担うよう今後とも勤務に邁進する事を誓い筆を置きます。

空から見た神戸(1995年4月号掲載・井上 雅文)

空から見た神戸 今まで上空より見慣れた景観が一転し市内は想像を絶する火災が発生し、家屋、ビルが倒壊し、鉄道、高速道路はいたる所で寸断され壊滅状態であった。
 「なんや、なにすんねん」
 地震や、凄い揺れ、とっさに本棚を押さえていた、電気が点く、家族、家にも被害はない、テレビをつけた各地の震度、京都5、大阪4、神戸の震度がでてない、電気が切れた、外の状況を見ても異常は見られない、電話のベルが鳴った、甲号非常招集が発令になった、参集せよとの連絡を受け自宅を自転車で出発。7時だった。
 ラジオの放送により「神戸が大きな被害を受け火災が発生している」、西神戸有料道路、山麓バイパスを通行し機動隊庁舎に向かう、ひよどり料金所を通過した所で目を疑った、市内から数本の黒煙が立ち上がっている、市内は薄暗く朝日が見えない、生田川を南下した所でビルが倒壊し横倒しになっている、神戸大橋にさしかかる道路は凸凹、いける所まで行こう、下り口の所で車が止まっている。一面が泥だらけである。行けない車をポートターミナルに置き、庁舎に向かう、道路、公園一面に泥が浮き上がって思うように歩けない、歩道橋は地面との段差ができている、ビルとも段差ができている。やっとの思いで庁舎に到着した、8時40分だった。既に3名の隊員が単車にて参集していた、隊員と共に飛行準備に取りかかる、救助機材の準備、散水器の準備をし本部との連絡を取る、連絡がつかない専用線、加入、無線・・・。
 格納庫内、ヘリポート一面にも泥が噴出し凹凸ができている、ヘリを出す事ができるかヘリスポット、誘導路を全員で確認する、噴出した泥の深さは約20センチぐらいであり亀裂等は確認出来ない「出せる」ヘリをおそる、おそる格納庫より出しヘリスポットへ移動後、機動隊長が到着、状況報告後整備士を運航管理者として待機させ、9時24分神戸ヘリポートを離陸した。東灘から須磨区にかけて約数十箇所から黒煙が立ち昇っている、すぐ状況を本部に送信する、応答がない、各署本部ともコンタクトが取れない、市街地の状況をポラロイド写真、VTRを撮影し東遊園地に着陸し司令課員に手渡し離陸、ポートアイランド、六甲アイランドを経由し東灘から状況を確認する。
 ポーアイは液状化現象により一面が泥色に染まり、コンテナバースには亀裂が入り大型クレーンは傾いている、島の形が変形しているように見える。六甲アイランドはポーアイほどの液状化現象は見られないが、護岸は歪になっており、六甲ライナーの橋脚が落下しており、六甲大橋の下には水道管らしい物が垂れ下がっている。
 灘区から東灘にかけての酒蔵がない、煙突も、阪神高速が横倒れになっている、歪んでいる。道路上には車両が放置されているが人は確認できない。
 軌道上には車両が停車し、軌道は歪み、高架は倒壊している、人は確認できない。
 東灘区から灘区にかけて特に民家の倒壊が多く一面が赤茶色に染まった様に見える、各公園、グランドには避難者が数多く確認できる。
 三宮地区は、市役所二号館、明治生命ビル、交通センター、新聞会館、国際会館等数え切れない多くのビルが崩壊、傾いており、どのビルが正常であるのかわからない状態であり、倒壊したビルで道路を塞いでいる箇所が数箇所確認できる。
 兵庫、長田、須磨上空の空は黒霧に包まれた様に黒く、地上からは限りなく黒煙が噴出し火柱が上がっている、産業地図に場所を赤く塗り潰していく、一か所の火災が数ページに及ぶ、地図は真っ赤に染まっていく、消防力対抗出来ていない、ヘリから散水出来ないか、地上隊とコンタクトを取れども取れない、強行すれば二次災害を引き起こす恐れがある。機動隊長から今回は情報収集を実施せよとの命により写真撮影、VTR撮影に専念した。
 今回の災害において、救援物資の搬送、救急搬送、山岳救助活動を行った、活動上様々な問題があった。
 ・上空では報道ヘリ、民間ヘリ、自衛隊ヘリなどの多数のヘリが市街地上空を飛行しており大変危険な状態であった。
 ・地上隊、本部との無線が輻輳し連絡が取れない状況であり唯一連絡を取れるのは航空無線であった。
 ・機動隊の機動性を発揮させるためにも車両の配置、365日体制を確立する必要があると思う。
 ・現在、庁舎のある神戸ヘリポートは公共ヘリポートであるため、多数の機体が集結して活動拠点としては使用できない。今回は、消防ヘリポートを活動拠点にする事ができたが、燃料の確保、格納庫の整備等実施する必要がある。
 その他問題点等たくさんあるが、色々な面から検討していただきたい。

全国で初めて26機のヘリコプターを駆使して−消防・防災ヘリコプターの活動から−(1995年4月号掲載・原田 義美)

応援に駆けつけてくれたヘリ26機

 全国の消防航空隊は、13消防本部でヘリは25機である。県防災航空隊は、8県がそれぞれ1機ずつ保有している。
 このたびの震災では、ヘリの点検整備中の県市を除き多数のヘリが応援に駆けつけてくれた。札幌市、仙台市、千葉市、東京消防庁、川崎市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市、北九州市の10消防本部から12機、そして、宮城県、埼玉県、岐阜県、香川県から5機の防災ヘリである。
 一方、海上保安庁、民間航空会社等からあたたかい応援協力の申出をいただいた。
 海上保安庁から3機、川崎重工業から3機、パイオニア(東邦航空ヘリ)、朝日航洋、JR東海からそれぞれ1機と、活動機数は総計26機となり、ヘリの活動部隊としては過去最大のものと思われる。
 応援ヘリの参集は、応援要請日時によって当然異なるが、17日は、千葉、東京、川崎、横浜、名古屋、京都、大阪の7都市と岐阜、埼玉の2県が、18日には、札幌、仙台の2都市、宮城、香川、島根の3県のヘリが次々と神戸上空に到着した。2月6日には、点検整備を終えた北九州市のヘリが、民間等からの協力ヘリは、19日に川崎重工業と朝日航洋、22日には海上保安庁、そして28日からパイオニア、JR東海のヘリが活動を開始する。

神戸消防航空隊の初期活動

 消防機動隊は、通常、神戸ヘリポート(中央区港島)を基地とし2機のヘリを保有している。
 操縦士4名、整備士4名、機動救助隊員3名の計11名による飛行体制をとっている。その活動は、ヘリポートには夜間離発着に必要な設備がなく、また、夜間飛行では十分な消防活動ができないことなどで昼間のみの活動である。
 地震発生後、隊員は自宅からマイカーや徒歩で参集した。勤務地に至る神戸大橋の途絶、ポートアイランドは液状化現象により一面が泥沼である。ヘリや庁舎は大丈夫だろうか、不安が頭をよぎる。気持ちばかりが急ぐが、足は泥沼にとられるばかりである。神戸ヘリポートへの到着にかなりの時間を要する。
 8時10分から9時までの間に隊員5名が参集、心配をしていたヘリや庁舎などには、これといった被害がなく胸を撫でおろす。
 早く参集した隊員でヘリの飛行前点検も済ませ、搬出準備にかかっている。予想どおりエプロン部分も土砂の堆積である。ヘリの搬出に時間がかかり、気が焦る。
 9時24分、ようやくヘリ3が最初の飛行を開始する。
 ヘリが離陸、数多くの炎上火災が目に飛び込んでくる。参集途上に幾つかの火災が発生しているのを見ているが、これだけ多くの火災が発生していようとは、とにかく早く市内全域の状況を確認しなければ・・・。
 東部から西部方面へと足早にヘリを飛ばす。数え切れないほどの炎上火災、建物の倒壊、高速道路の寸断、鉄軌道の損傷、車両の横転、目を疑うほどの被害である。
 改めて被害の大きさに驚く。火災は東部地域より西部に多く、その規模も大きい。また、建物の倒壊状況は、須磨区以東全域に及んでいるが東部方面に多いようである。
 本部への被害状況報告、ビデオや写真の撮影収録した後、ビデオやポラロイド写真を本部へ搬送した。(東遊園地に着陸し、司令課職員に手渡す)
 作業を終え、約2時間後の11時29分に第1回目の飛行を終了する。
 燃料の補給、ビデオ、写真フィルムなどの資材を補充し、12時40分、再び飛行を開始する。
 無線は聞き取れない程の混信が続いている。また、これだけの同時多発火災では地上部隊への情報支援もどうにもならない苛立ちを感じる。
 引き続き、詳細な状況を把握すべくビデオ、写真などの収録に努める。あっという間に2時間が経過する。燃料も少なくなってきた。14時40分、第2回目の飛行を終える。一方、ヘリ1は、順次参集してきた隊員により飛行準備を進め、14時20分、情報収集等に飛び立った。
 ヘリ1が飛行している間にも今後の活動準備を進める。先ずもって、活動拠点を消防ヘリポート(北区ひよどり北町)に移さなければならない。
 液状化の神戸ヘリポートでは離発着が難しい。しかも神戸大橋の途絶、通信施設の不通、停電など状況が悪い。反面、消防ヘリポートは、消防学校に隣接しており広いグランドを合わせると多くの駐機が可能で、しかも運航室からはヘリポートを含め全体が一望できて運航統制に至便である。
 今後の活動をいろいろと予測をしながら準備作業が続く。
 ・応援ヘリコプターの所在確認
 ・運航指令室の開設準備
 ・ヘリ救急に対応すべく資機材の搬入
 ・ヘリ駐機場所の調整
 ・市災害対策本部との連絡
 ・今後の活動内容等の検討
 ・補給燃料の確保準備
 ・応援航空隊を集結させての指示伝達会議の開催準備
 など、慌ただしく時間が過ぎ十分な準備ができないまま応援航空隊との会議を迎える。
 1月18日、8時30分、応援航空隊が消防ヘリポートに集結。今後の活動等の説明、各隊への任務指令を行う。いよいよ本格的な活動の開始である。

消防関係ヘリの主な活動

自衛隊ヘリ 神戸消防の統制下で活動したヘリの主な業務は、救援物資搬送、救急搬送、陸上部隊、資機材等の空輸、被害状況調査などである。
 17日深夜、市災害対策本部からヘリによる救援物資搬送の指令が入る。
 業務は、吹田市から神戸市内へパン、ジュースなどを空輸するものである。
 直ちに、緊急離着陸場を選定、王子陸上競技場、東遊園地、西代グランド、垂水平磯公園を使用することとなった。
 物資の数量からヘリ10機を担当させることにし、18日任務指令を行う。
 なお、当日、六甲アイランド(コープ生協)から弁当、パンなどを空輸する業務も追加された。
 翌19日、自衛隊の大型ヘリが加わることになる。ありがたいことだが、緊急離着陸場は大変狭い。相互の運航統制を図る必要があり、さっそく調整をする。
 搬送元である他都市から王子陸上競技場へは自衛隊が担当、王子陸上競技場からは消防関係ヘリで分散空輸をする。
 以後、同様のパターンで1月31日まで実施する。なお、医薬品、医療器材の搬送は、主として八尾空港から王子陸上競技場等へ空輸している。
 その運航実績(消防関係ヘリ)は、食料品関係で延べ141機、1,129回の飛行、医薬品関係では延べ14機、46回の飛行を重ねた。
 被災状況からして、ヘリ救急業務が当然予測された。毎日、2〜3機を救急担当として任務指令をし、救急要請に対応させた。
 18日、正午過ぎ、ヘリ救急搬送の出動指令が入る。新須磨病院から高砂市民病院へ。人工透析患者5名を転搬送するものである。
 以後、20日から出動要請も多くなり、最も多い日で出動件数9件、搬送患者15名であった。3月20日現在で、計99件、112名の患者を転院搬送した。
 搬送元の病院は、35病院、搬送先病院は、58病院で、大阪府下、姫路、加古川などが多く、倉敷、和歌山、徳島などへも搬送する。
 このたびのヘリ救急は、すでに策定している「ヘリコプターによる患者搬送マニュアル」を原則にして運用した。
 患者を安全に搬送するため、搬送の際に病院から医師、看護婦の同乗を求めた。
 搬送元病院の医師も多忙となり、1月26日からは市立西市民病院の医師、看護婦を消防ヘリポートに常駐していただいた。

使用した緊急離発着場17ヵ所

 ヘリ業務先般に活用するため、市内で場外離着陸場として23ヵ所を選定し、航空局の許可を受けている。
 これらの許可に関しては、離着陸場の広さ、ヘリ進入、離脱経路周囲の障害の状況などが問題となる。
 このような関係で、許可を受けている場外離着陸場は旧市街地にはほとんどない。
 今回の震災でのヘリの活動は旧市街地が中心であったため、離着陸場の選定に大変頭を痛めた。神戸ヘリポートと消防ヘリポートだけではどうしようもない。
 結果として、安全飛行に留意しながら、県消防学校、王子陸上競技場、東遊園地、メリケンパーク、御崎中央球技場、西代グランド、垂水平磯公園等々、17ヶ所を緊急着陸場として使用した。

今後の主な課題

 以上、今回の震災における消防関係ヘリの活動の一部を紹介した。今後、さらに効果的な活動をするためには検討すべき課題も多くある。
 ここではその一部をとりあげてみる。

建物火災の空中消火について

 このたびの地震で発生した建物火災のヘリ消火の可否について大きな話題となった。
 ヘリ消火については、林野火災においては成果をあげている。しかし、建物火災では残念ながら神戸はもとより全国のヘリ保有消防本部も経験はない。
 ヘリ消火が困難な理由としては次のとおりである。
 1 ヘリコプターの吹き下げ気流の影響で、かえって火勢を拡大する危険性が高い。
 2 市街地での火災エネルギーは非常に強く、低い高度での飛行はヘリ自体が危険である。
 ・上空での酸素不足によるエンジン出力低下、若しくは、酸素欠乏によるエンジン停止。
 ・上昇気流による操縦の困難性
 3 集中的に水を投下した場合、水の圧力により倒壊家屋の崩れを助長し、生存者の救出をさらに困難にすると共に地上活動隊員への危険性もある。
 これらについては一部で否定的な論評もなされている。今後は、関係機関と種々検証を行いその可否を明確にしておくべきであろう。

ヘリ救急について

 1 医療関係者への周知
 地震発生から20日までの4日間で、ヘリ救急の要請はわずか2件である。
 神戸消防では、従来から「ヘリコプターによる患者搬送マニュアル」を策定しヘリ救急を実施している。また、救急振興財団から助成を受けヘリ救急試験事業にも取り組んできた。
 地震発生後の病院関係者は、あまりにも多い患者の応急処置などの対応に多忙をきわめたり、通信施設の途絶なども重なり、ヘリの可動状況の確認が出来なかったのではないかと推察される。
 今後は、救急連絡会等を通じヘリ救急の円滑な運用について医療機関と十分検討をし連絡体制等を整備、徹底しておく必要があろう。
 2 緊急離着陸場の把握
 従来から兵庫県下及び隣接府県の主要場外離着陸場の調査はしている。
 しかし、今後はこれら以外の可能な場所や、さらに地域を拡大し広域救急にも対応できるよう主要離着陸場の把握に努めていく必要があろう。
 3 同乗医師、看護婦の確保
 搬送元病院の医師、看護婦が多忙で同乗が求められないことがあった。したがって、今後もこのたびのように他の医療機関の医師、看護婦がヘリ待機場所で常駐が出来る体制を固めておく必要があろう。

活動ヘリの運航統制について

 このたびの震災では消防関係ヘリ以外にも、自衛隊、海上保安庁、警察、民間協力会社などの多数のヘリが活動している。
 それぞれが相互の行動計画がわからないまま狭い神戸市街地の上空や同じ緊急離着陸場を輻輳しながらの活動である。
 消防関係ヘリと自衛隊の一部のヘリとは救援物資搬送業務で連携しながらの活動となった。飛行場の安全管理や円滑に活動するため相互に運航統制をする必要が生じた。
 当日の飛行計画を連絡し合い、相互の飛行機数、時間、ルートなど確認した。
 一方、活動現場においては、消防ヘリポートの運航室、自衛隊で開設された王子陸上競技場の指揮所を通じ飛行ヘリの確認、安全誘導などに努めると共に、使用する緊急離着陸場には無線機を持った地上誘導員を配置した。
 今後は、活動するすべての機関が相互の安全管理や活動が円滑に、効果的に実施出来るよう、たとえば、ある場所を統制拠点と定め、それぞれの活動機関の担当者で組織する活動統制本部のようなものを設置するなど今後、関係機関で効果的な運用方法等について検討しておく必要があろう。

 おわりになりましたが、協力をいただきました海上保安庁、川崎重工業、朝日航洋、パイオニア(東邦航空ヘリ)、JR東海の皆さま方、応援をいただきました全国の消防航空隊、県防災航空隊関係の皆さま方、長期間にわたる精一杯の活動に心からお礼を申しあげます。準備不十分なこと、気づかいの不足など不行届きの点が多々あり御迷惑をかけました。どうぞお許しをいただきますように。今回の皆さま方の御活躍を手本にし、また、御教示をいただきましたことは今後、私どもの業務に生かしていきたいと肝に命じています。
 本当にありがとうございました。