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神戸の戦災 戦争体験談

■ 神戸大空襲から61年  岩間さん(灘区)

私は昭和13年結婚と同時に神戸市灘区八幡町に住居を構えました。

昭和19年〜20年3月16日まで実家のある静岡県榛原町に疎開。その時のハプニング!! 実家に送った道具、衣類等が行方不明になりいまだにわかりません。

当時の田舎ぐらしはまったくの自給自足で「グラマン」の機銃掃射にあいながらの畑仕事は大変でした。農家にお米はあっても売ってくれないし、闇米を買うのにも苦労しました。

主人の勤務のこともあり昭和20年3月17日帰神。あたかもその日は神戸大空襲の時です。胸がつまりました。幸い八幡町の家は無事でしたが何せめぼしい道具、衣類は行方知れずのまま、物資不足の折柄困りました。空襲がはげしくなるので夫の友人の計らいで西区の押部谷町へ再疎開。当地ではご近所の皆さんの親切があったからこそ3人の子供を抱え終戦・戦後の食糧難を乗り越えられたと今でも感謝しています。神戸大空襲から61年、日本も平和になりました。これもひとえに多くの人達の尊い犠牲があったことを忘れてはなりません。

私も91歳になり灘区楠丘町に住みつつがなく暮らしております。


(平成18年8月1日号 広報こうべ 紹介記事 掲載)