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神戸の戦災 戦争体験談

■空襲の悲惨さを伝えたい  中田さん(長田区)

わたしの母は、昭和20年3月17日の神戸大空襲のとき、一瞬にして何百人もの死者が折り重なったといわれる兵庫区の大和田橋で乳飲み子を抱え、大きなおなかで炎の中を逃げまどいました。その途中で、爆風に吹き飛ばされ、気が付くとわが子の姿はどこにもなく、全身に大やけどを負っていました。やっと運ばれた病院でも、何日も死体と一緒に転がされていたそうです。

その秋に、わたしが無事に生まれたのは奇跡に近いことでした。幼子を失った母は、何年たってもケロイドの残る手足をさすりながら、つらかった日々をわたしに話して聞かせました。

空襲は自然災害とは根本的に違います。あの悲劇は人の手によって起こったのです。わたしたちは、あの無差別空襲の犠牲者のほとんどが女性や子ども、高齢者だったことや、のどかな日常が一瞬にして廃墟になったことなど、その悲惨さを戦争をまったく知らない若い世代の人たちに伝えていきたいと思っています。


(平成9年8月1日号広報こうべ掲載)