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トップページ神戸の戦災戦争体験談>平和ということはいかに大切か  根岸さん(北区)

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神戸の戦災 戦争体験談

■平和の大切さを伝える   西阪 順三さん

昭和20年6月5日午前6時50分。けたたましく鳴る空襲警報。B29の爆音が聞こえたかと思うと、「ザーッ、ザーッ」という夕立のような音とともに焼夷弾が落ちてきました。当時、中学1年生だった私は、フラワーロードのすぐそばに住んでおり、町中が火の海と化す中を必死で逃げました。道のあちこちには焼夷弾が突き刺さり、火を噴いています。途中で逃げ場を失い「どうせ死ぬなら自宅で」と思い、引き返そうとしました。警防団のおじさんに「そっちに行ってはだめだ」と引き止められ、一緒に逃げようと駆け出しました。その時、おじさんの頭に焼夷弾が当たり、バタッと倒れたのです。引きずって行こうとしたのですが、子どもの力ではどうすることもできず、泣きながら走りました。

避難所となっていた神戸小学校で、父とは再会できましたが、先に逃げたはずの母と2人の姉の姿はありません。町中を捜しましたが、真っ黒に焼け焦げた遺体が道端にゴロゴロと転がっており、顔の区別がつきません。1カ月ほど経ち、全身黒焦げで足が白骨化した下の姉の遺体が見つかりました。自宅の焼け跡まで、父と運び火葬しましたが、これほど辛く、悲しい思いをしたことはありません。

小学校で語り部として空襲の話をし始めて今年で10年になります。現在からは想像もできない内容に、子どもたちは信じられない、といった表情で話を聞いています。私たちが経験した苦労はしてもらいたくない。そのために、家族が一緒にいられること、おいしいご飯が食べられることなど身近なことから、平和の大切さを伝えていきたいと思っています。


(平成26年8月号 広報紙KOBE掲載)