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神戸の戦災 戦争体験談

■ 戦争のない平和な世界が続くことをねがって  細見さん(兵庫区)

昭和20年6月5日の神戸大空襲があったときのことです。高等女学校に入学したばかりの12歳、近所の親戚宅へ向かう途中、突然、空襲警報のサイレンが鳴りました。すでに上空にはB29の飛行機連隊がゴーゴーと凄い音を響かせて西方面へ飛んでいきました。

急いで家に帰りましたが、再び空襲警報のサイレンが鳴り、家にいた私、父母と従姉の4人は急いで裏庭の防空壕へ入りました。しばらくしてドーンというものすごい音がしたため、外へ出てみると父の仕事場から火の手が上がっていました。

4人のバケツリレーで一生懸命、火を消そうとしましたが、すごい勢いで炎が大きくなっていくばかりです。「もう逃げなあかんよー。」と大きな声がしたので、自転車と布団をやっとの思いで取り出し、燃え盛る家間をくぐり抜けました。

しかし、焼夷弾があちこちに落ち、暗い中で輝いて見えます。シャーゴーという音がするたびに溝にふせていましたが、向かいの溝へ渡ったその瞬間、目の前がピカッと光り、顔、両手、お尻に大火傷を負いました。暗い中でしたが、消防団のおじさんが濡れた軍手で火を消してくれて、バケツを持って走っていく姿を見送ったことを覚えています。

さらに逃げる途中、手の甲に冷たいものが当たるので、見てみると黒い雨が降っていました。火傷の治療のため、故郷の岡山の病院にやっとの思いで入院しました。しかし、数日後には上空にB29が旋回しているとのことで、強引に退院し、知人宅から通院することになりました。それから2週間後ぐらいでしょうか、昭和20年6月29日午前2時ごろ岡山市が大空襲に。

ドーンドーンと鈍い音に目が覚めて、慌てて防空壕に入りました。このときは空襲警報が鳴らなかったように思います。しばらくして外に出てみると、どちらからも火の手が上がっており、みんなが走っている方向へと逃げましたが、焼夷弾が花火のように広がり、降りかかってきました。辺りは火の海で、歩く道がなく、もう駄目かと思い座り込み、生きた心地はしませんでした。それでも、天に祈りながら必死に逃げました。命拾いをして、本当にこの経験は一生忘れることはできません。

その後、病院の看護師、当直の先生、患者さんも亡くなられたことを知り、自分もあのまま病院にいたら死んでいたと思います。亡くなられた方への感謝とご冥福を祈らずにはいられません。

この戦争は私を含めて痛ましい犠牲者をたくさん出しました。こんな怖い思いは二度としたくありません。これからも戦争のない平和な世界が続くことを願います。