神戸市-KOBE-


烏原貯水池のあゆみ

最終更新日
2018年2月13日

貯水池ができる前の烏原村(明治時代)

 烏原貯水池の建設によって、明治37年(1904年)、烏原村は水没しました。当時の村の規模は、戸数98戸、人口414人で、住家89棟、納屋38棟など合せて135棟がありました。谷あいの村で、中央部のやや平坦なあたりに人家が点在していました。
 産物は、うるち米やもち米、麦、大豆、菜種、竹、薪、線香原料粉(2000俵)などでした。中でも木の皮を細かい粉にして作る線香の主原料は品質優秀で、全国から需要があったそうです。粉は水車を使ってひいていました、
 現在の貯水池右岸の護岸には、たくさんの石臼が埋め込まれています。これらは、烏原村が水没する時に、人々が水車で使っていた石臼を記念に残したものです。
 なお、「烏原」の地名は昔は「からすわら」と呼ばれていたようで、堰堤上の碑文(英文標記)には「KARASUWARA RESERVOIR」と刻まれています。

創設工事での築造

 烏原貯水池は、神戸市水道の創設工事の一環として奥平野浄水場や北野浄水場、布引貯水池などに引き続き建設されました。
 立ヶ原堰堤は、明治34年(1901年)6月に工事を開始し、途中3回の設計変更を経て、明治38年(1905年)5月に完成しています。
 烏原水源の一連の施設の完成により、創設工事は完了し、明治38年(1905年)10月27日には、烏原貯水池畔において工事完成式を挙行しています。

第1回拡張工事でのかさ上げ

 創設工事後も増え続ける水需要に対応するために、神戸市水道の第1回拡張工事が進められました。
 千苅水源の確保(千苅貯水池や上ヶ原浄水場の建設)と併せて、烏原貯水池の立ヶ畑堰堤も貯水量を増やすために2.72メートルかさ上げされました。
 増築工事に要した期間は、大正2年(1913年)8月から大正4年(1915年)3月まででした。この工事により、烏原貯水池は現在の姿になりました。

石井ダムの建設に伴う治水活用

 平成10年(1998年)及び平成11年(1999年)に新湊川が大雨であふれ、広域で浸水被害が発生したことを受けて、平成12年(2000年)から烏原貯水池の治水活用を行いました。
 この運用は、上流で兵庫県が建設していた石井ダムが完成するまでの間、烏原貯水池を空にして、大雨の時には河川水を引き込むことにより下流の河川流量を調整し、洪水の発生を防止するというものでした。
 石井ダムは平成16年(2004年)に完成し、その試験湛水が終わった平成20年(2008年)6月をもって治水活用は終了しました。
 治水活用中は水をたたえた烏原貯水池の風景が見られませんでしたが、終了後は徐々に水位を回復し、今では元の景観がよみがえっています。