神戸市-KOBE-


千苅貯水池のあゆみ

最終更新日
2010年9月7日

第1回拡張工事での築造

 明治38年(1905年)に神戸市の水道創設工事(布引と烏原が水源)は完了しましたが、水需要の伸びは予想以上で、数年後には早くも水不足に陥りました。
 水道拡張のためには不可欠な新たな水源を調査した結果、(当時の)神戸市の北東約36キロメートルにあり水量・水質ともに良好な武庫川支流の千苅川に貯水池を建設することになり、明治41年(1908年)から本格的な水源調査を開始しました。
 明治43年(1910年)に全国的な大水害が起こったり、なかなか国庫補助がつかなかったことなどから着工できませんでしたが、計画変更等を経て、大正3年(1914年)5月に着工し、5年の歳月を要する大工事の後、大正8年(1919年)5月10日に完成しました。

第2回拡張工事でのかさ上げ

 第1回拡張工事中に起こった第1次世界大戦(1914年〜1919年)によりヨーロッパ全土が戦場となったため、日本とアメリカに各種資材の注文が殺到し、いわゆる大戦景気を迎えました。この時期に、神戸港を持つ神戸市に多くの産業が立地し、人口も急激に増加しました。
 このため、第1回拡張工事が完成した翌年の大正11年(1922年)には、もう給水能力いっぱいの水が使われる状態になっていました。
 この水需要の増大に対応するため、千苅堰堤を6.06メートルかさ上げすることにより、貯水量を2倍にしました。また、併行して、千苅導水路の増強工事や上ヶ原浄水場の急速ろ過池の新設工事などを行いました。その結果、給水能力は2倍近くに増強されました。このための一連の工事を、「第2回拡張工事」といいます(1926年〜1932年)。
 そのうち、千苅堰堤のかさ上げ工事に要した期間は、昭和4年(1929年)4月〜昭和6年(1931年)8月でした。
 千苅貯水池の水位が上がることにより、波豆川上流で県道が水没することになり付け替え工事が行われたほか、羽束川と波豆川にあった量水開渠も水没するため、新たに上流部に量水渠を建設しました。

昭和30年代後半の風景

 千苅浄水場が稼動を始めたのは、昭和42年(1967年)からです。昭和30年代、まだ千苅貯水池の水は、上ヶ原浄水場だけで浄水されていました。

平成6〜7年の異常渇水

 平成6年(1994年)は夏から異常渇水に見舞われました。平成7年(1995年)1月には、千苅貯水池の貯水率は18%に、2月末には過去最低の貯水率11%を記録しました。