神戸市-KOBE-


2.過去に神戸市で起きた水害の背景

最終更新日
2010年3月17日

水害の背景

 今を去ること約百年前、六甲山はハゲ山同然になっており、たくさんのがけ崩れや洪水が発生しました。

六甲山

六甲山<はげ山に植林をはじめた再度山(明治35年(1902年))と、緑を取り戻しつつある再度山(大正2年(1913年))>

 明治の後半から昭和の初期にかけて、神戸の街は急速に都市化が進みました。
 その中で、ふだん水量が少ない川は、幅を狭くされたり、場所を移動させられたり、地下化されたりしました。

生田川<地下化された生田川(場所は今の生田川とほぼ同じ)>

 このような状況のなかで起きたのが昭和13年の「阪神大水害」でした。
 その様子は文豪・谷崎潤一郎の小説「細雪」にも克明に描写されています。

線路の上を伝わって行けば水に漬からずに行けるけれども、 あれから先は、西へ行くほど一面に茫々たる濁流の海で、 山の方から大きな波が逆捲きつつ折り重なって寄せて来て、 いろいろな物を下流へ押し流している、 人が畳の上に乗ったり木の枝に掴まったりして 助けを呼びながら流れて行くけれども、どうすることも…                              「細雪」より

 この水害の後、住吉川・生田川などの大きな川は国や県により改修されましたが、都市部を流れる小さな川までは手がつけられなかったため、昭和36年、昭和42年にはこれらで大きな水害が起きました。

 この昭和42年の水害を契機に、より小さな川の改修を行う「都市小河川改修事業」(現在は「都市基盤河川改修事業」と言います)が進められることになりました。

水害への備えのほかの項目