第2回 山の上で、Jazzを鳴らして。

「ここではないどこか」。
それは東京で生きるなかで、いつからか脳内でリピートされていた言葉。

例えば、職業柄、地方への移住などに関心のある方たちに出会う機会のなかで、もやもやと、ここではないどこかを探している人たちが多かったり、経験や年齢を重ねて、価値観の変化から行動に移す知人友人がいたり。かくゆう私自身もそばにいた友人たちも、いつからか模索していた気がする。ただ、掘り下げていくと、それは特段場所に限らなくて。生き方であり、生業であり、働き方であり、暮らし方そのものだった。誰と、どこで、どう生きていくのか。それらが内包されていたように思う。

 


縁あって神戸で暮らしはじめて、まず何よりも大事にしたのは「ただ、いち生活者として、いち住民となって、暮らしてみること。季節を一巡りしてみること」。外から見えていたものよりも、土地に入って暮らしてみることで、気づくことは実に多かった。



神戸の春夏秋冬を過ごしていくなかで「ここではないどこか」ではなく「ここ(神戸)の暮らしがいいよね」と言う人たちに多く出会った。小さなお子さんのいるママから、神戸愛の強いちょっと(かなり?)クセのある人たちまで。「神戸は暮らしやすいもんねえ」「こんな良いところないで」と、自らの環境や暮らしに納得しては、根を下ろしている。これはきっと、神戸の人からするとごく自然なことなのかもしれないけれど、外から来た私にとっては、なんとも新鮮で新しいベクトルだった。



「ここではないどこか」から「ここが(この暮らしが)いい」と変化する過程には、グラデーションのような、ゆらぎのようなものがあって当然だと思う。今までの環境からがらりと変化して、あたらしく出会う人たちや、何気ない瞬間や些細な日常の積み重ねによって、気づけば大切なものが育まれてそれが答えとなっていくような。それぞれの速度と、それぞれの温度で。



そんな、私がまだ「ここではないどこか」と「ここで暮らせるのかな」の間で波打っていた頃に、神戸で出会った特別な場所がある。


 


再度山(ふたたびさん)の山の中、くねくねした山道を車で走り、ビーナスブリッジを過ぎ、さらに坂を上って、少し酔ってきたかな・・・と思う頃、人目のつきにくい曲がり角が出てくる。そこを曲がってさらに生い茂る森の中、ガタガタの砂利道(最近綺麗に舗装されました)を走り続けた先に、少し開けた猩々池(しょうじょういけ)が現れる。その先を上がった先に、喫茶店「Café はなれ家」はある。


このはなれ家は、私たち夫婦が敬愛を込めてこっそり呼んでいる「ジャズじい」が営んでいる。

初めて訪れたのは新緑の頃。あの時、さわさわと、空高くまで風に揺れる木々の緑と、開け放たれた扉の店内から聴こえるジャズ、コーヒーとチーズケーキにしばし時を忘れた。


 


山深い森の奥地にある立地は、山登りの山道にもなっていて、週末にはカラフルな老若男女の登山客が行き交う。週末だけ営業している木造の喫茶店にはジャズのレコードが並び、青々としたもみじに囲まれた中庭も気持ち良く、再度山の水で淹れたコーヒーも美味しい。
ジャズじいも奥さまも気さくで、ふらっと私たちが訪れるとたわいのない話をしてくれて、そして静かに、心地のよいジャズと自然に包まれる。



実はジャズじいこと片岡学さんは、戦後の日本の音楽シーンを支えてきたトランペッター。かつて坂本九さんやクレイジーキャッツをはじめ、国内外の数多くのミュージシャンのトランペッターとしてご活躍され、各地の米軍基地や、東京、横浜のクラブやジャズバー、神戸では北野クラブなどでも演奏されてきた。そして、84歳になられた今も現役でご活躍されている。お察しの通り、ジャズじいなんて呼ぶのは失礼なほど、ジャズ界の大御所の方。それでも、その気さくでチャーミングな人柄に、ついつい私たちの中ではジャズじいと呼んでしまう。


 


「昔はね、東京でもたくさんレコーディングやライブをしてねえ。もう、一体誰の曲を演奏しているんだろうってわからないくらいに、引っ張りだこだったんだよ」
そうやっていつも楽しそうに懐かしそうに、当時のエピソードを話してくれる。



横浜や銀座の今はなきクラブでの演奏や、キューバやニューヨークでの現地のジャズミュージシャンとのセッションなど、片岡さんのお話にはついついワクワクさせられて、見たことのない世界だけれど目に浮かんでくるよう。



そして、戦後の荒波の時代に生き各地へトランペットとともに渡り歩いた片岡さんの生き様と、ご自身が想像していたよりも早く神戸に移り、この土地で根を下ろしてご自身のスタイルで、今の生活を楽しまれている姿が、実に格好いい。


はなれ家 店主 片岡学さん

はなれ家 店主 片岡学さん



「ここにいるとね、季節の変化を感じるんだよね。やっぱり匂いも変わるし。静かだし、それがいいんだよね。買い物も鈴蘭台まで車ですぐ行けるし、三ノ宮にも車で20分くらい。そう困ることもないよ。やっぱりここでの暮らしが楽しいんだよねえ」
新緑の心が洗われる気持ちよさ、真夏の街よりもずっと涼しい気温、紅く彩られる中庭のもみじ、真冬の静けさ。季節ごとに訪れるたびに、ここでの営みを楽しんでいる片岡さんがいらっしゃる。



奥さまの正子さんも、実は元タカラジェンヌ。ダンサーであり20年もタンゴを続けられていて、品のあるすっとした姿勢は美しいし、カラッとした人柄がとても素敵。



自分たちのスタイルで暮らしを楽しんでいるご夫婦の姿を身近に感じることで、私たちのなかにも心地の良い風が吹くし、いつも帰り道は清々しいのだ。


 


実は私たちの結婚式のパーティは、はなれ家でさせてもらった。ある日会場に困っている時に訪れると「うちを使ったらいいよ」と前例もないのに言ってくださった。中庭を解放して、友人知人を招いて食事をしたりライブをしたり、自由なスタイルで過ごさせてもらい、当日も多大なサポートをしてくださった。
「あの時は楽しかったわね。またぜひやってね」と、バンドの音楽に合わせて可愛らしく踊っていた奥さまは、訪れる度にそう言ってくださる。
あの日、夫の友人が大型のマイクロバスを運転してくれて、ジャングルのような真っ暗闇を揺れながら友人みんなで大盛り上がりして帰ったのもよき思い出。



一度、片岡さんのライブも聴きに行った。今でも年に数回演奏されているライブを聴きに、三宮のジャズバー「マティーニ」へ。スーツを着てステージに立ち、片岡さんよりも若い世代の人たちとセッションしながらトランペットを吹く姿は実に格好よく、温かい音色が印象的だった。


 


こんなささやかな交流は、神戸の暮らしにほっとする彩りを与えてくれている。
最近も度々訪れては新緑の気持ちの良い時間を過ごさせてもらっていて、さらに夫は毎週末マウンテンバイクで山に入ってはなれ家の先まで走るので、その時にもお二人と顔を合わせている。



私たちの神戸のレジェンドは、山の上のジャズじい。
そしてまた、多様な文化も人も受け入れてきた神戸には、片岡さんのように自分たちのスタイルで生きている人たちが多いように思う。そんな人たちに出会えると「ここの暮らしもいいな」と、また思えるのだ。


文と写真 岩崎雅美

2年前から神戸に暮らし、ときどき横浜・東京との二拠点生活を送る主婦。 編集したり書いたり、人やコトやモノをつなぐ仕事をしています。

プロジェクトディレクター/地域コーディネーター/編集者/ライター
東京では、CSR・SDGs関連のコンサルティング・レポート制作会社の株式会社クレアンにて企画編集を担当。その後、株式会社umariにて地域や分野を横断する0→1を作るさまざまなプロジェクトデザインに携わる。雑誌「TURNS」の企画・地域コーディネーター・編集を担当後、神戸に移住。移住後はフリーランスで活動中。