第1回 神戸の街中に息づく温泉

神戸で暮らしはじめるより少し前。
東京で働いて世田谷に暮らし、仕事柄地方を飛びまわる生活を送っていた私が、山と海のあいだにあるこの街に通うようになったのは、30代になってから。

当時、神戸生まれ神戸育ちの夫(当時は彼)に会いに神戸に訪れると、よく連れていかれていたのが「温泉」だった。私にとって神戸への入り口は、温泉だったとも言える。
今では友人が神戸に訪れると、温泉に連れていくことも多い。

どこか懐かしさを感じる商店街が神戸にはいくつかあって、平野商店街もその一つ。古くからの歴史を纏いながら今もゆっくりと息づいているような、そんな商店街の先、住宅街の奥にひっそりと「湊山温泉」はある。
三ノ宮からは神戸駅前行きのバスで20分ほど。家々が並ぶ住宅街にぽつんと温泉があるのは、なかなか珍しくないだろうか。源泉掛け流し。地元の人たちが通う、街に溶け込む天然温泉。

当時の湊山温泉

当時の湊山温泉



初めて訪れた時、そのシンプルな佇まいに内心ちょっと驚いた。「湊山温泉」と書かれた看板と、年季の入った青色の下駄箱。中に2台の自動券売機にがらんとイスが並ぶ休憩所。
夫とだいたい1時間くらい経ったら上がろうと約束して、女湯に向かい脱衣所へ。

ガラガラと温泉の扉を開けると、もくもくと天井に向かって立ち昇る湯気が窓から注ぐ昼間の光に照らされている。ひたひたの浴槽の湯は床に流れ、カーンと響く桶の音。そしてぼんやりと、湯気の合間から見える湯船や洗い場のおばあさん達。同じく湯船に浸かってみると、じんわり身体の芯までほぐされていくのを感じる。まさに、今この温泉に流れている時間軸は、私がさっきまで生きていた東京の街のサイクルや日々の流れとは異次元にあった。

ある時ちょっと東京で忙しく、仕事で溜まったいろいろを背負って神戸を訪れた記憶がある。もやもやを抱えたまま湊山温泉を訪れて、仕事で疲れていたもの、言葉にならないしんどさとともに、温泉に浸された。何も考えずに目を閉じて、じっと湯船に身体を預ける。しばらくして、ふやけた身体を拭きほかほかのまま外に出ると、ついさっきまで心に溜まっていたものがすっかりなくなっていた感覚を、今でもよく覚えている。

今も変わらない木製の下駄箱

今も変わらない木製の下駄箱



湊山温泉に惹かれるのは、温泉そのものの泉質や気持ちよさはもちろん、温泉をこよなく愛する地元の人たちにあるのだと思う。見聞きして得た情報によれば、週に数回〜毎日通う人もいるらしい。まるで喫茶店で待ち合わせるように、温泉で顔を合わせるのがお決まりで、世間話に花を咲かせたり、と思えばまるで仏のようにじいっと冷たい源泉に浸かったり。

休憩所では、温泉上がりの一杯を飲みながら、新聞をめくりテレビを眺めている。温泉は生活の一部で、ここを舞台に交わされる温泉コミュニティなるものを、そっと観察するのが興味深いのだ。

 


ある日、湊山温泉が閉店するという話を聞いた。今から4年くらい前のこと。経営難で継続が難しくなったらしい。「昔からあったのに残念やなあ。仲間と寄付でも集めようかな」と夫も言っていたが、各地の温泉や銭湯も経営難や後継者不足で閉店していた。残念に思うと同時に、日々通っているおばあさん達はどうなってしまうのだろうと気になった。そしていよいよ閉店間近、まるで温泉のシンデレラストーリーさながら、静岡から救いのヒーローが現れて、湊山温泉は見事復活を遂げることになる。

それからというもの、湊山温泉には新しいのれんがかけられ、ポイントカードができ、ドライヤーは無料になり、マッサージ機も置かれるようになった。何より毎月ユニークなチラシが秀逸で、温泉に浮かぶ「アヒルの日」「お寿司の日」から始まり、「阪神が勝ったらポイント3倍」「●●さん(偉人や著名人)の生誕記念日ポイント5倍」など、今日は何の日だろう?とワクワクさせてくれる。ときどき催しに合わせて被り物などをしたお客さんたちの写真が休憩所の壁に張り出されていると、そのほっこりさに思わずにやけてしまう。

経営者が変わり変化していくことが、どれも湊山温泉を愛する地元のお客さん目線で心地よくて。どんな文化や施設もなくしてしまうことは簡単。けれども、平清盛ゆかりの湯として800年も前から湧き出てきた温泉が、今も庶民の生活の一部となって地元の人たちを癒し愛されている。脈々と続いてきたこの土地にある大切な営みについて、通う度に感じさせられる。

温泉上がりの、一口ビールもたまらない

温泉上がりの、一口ビールもたまらない



神戸で暮らして2年。今では温泉は、わが家の週末の一つの過ごし方になっている。
だいたい週末車で出かける時にお風呂セットも用意して、よき時間よいところで温泉へ。季節を問わず、ワンコインほどで心も身体も温もれる温泉はちょっとした贅沢だ。

湊山温泉の他にも、神戸の街中にある温泉を楽しんでいる。例えば水道筋の「灘温泉」。夏は10人ほどが浸かれる源泉が人気で、絶妙な生ぬるさにいくらでも浸かれてしまう。温泉あがりに向かいの「船越」で美味な串カツを食べるのがお気に入り。六甲道の「灘温泉」は、小さめの源泉や半露天にある白い泡のミルキーバブロを行ったり来たりする。六甲の「おとめ塚温泉」でたまらないのは、肌をとろとろつるつるにしてくれる美肌湯。神戸の街中で、神戸の自然の恩恵にあやかれる喜び。

水道筋の灘温泉

水道筋の灘温泉



ところで、温泉で出会うおばあさん達には時々話しかけられる。
「私ね、毎週ここに通うのが楽しみなんよ。うちの息子がね・・」「今日のお湯に浸かってる柑橘、これなんや、いい匂いするわあ。ちょっと匂いかいでみ」など、裸の付き合いさながら、垣根もなくいたって自由。関西独特のかけあいや神戸弁についていくのはまだまだなのだけれど、何だか微笑ましいやり取りだったりする。

じわりと汗をかきながら湯船に浸かり、もくもくした湯気の中、目の前に見えるおばあさん達のしわしわの肌や垂れたお尻を見ては時々ふと思う。「いつか私も、あの人たちみたいに、年を重ねてしわしわの肌をした神戸の女になっていくのかなあ。まあ、それも悪くないないか」と。


文と写真 岩崎雅美

2年前から神戸に暮らし、ときどき横浜・東京との二拠点生活を送る主婦。 編集したり書いたり、人やコトやモノをつなぐ仕事をしています。

プロジェクトディレクター/地域コーディネーター/編集者/ライター
東京では、CSR・SDGs関連のコンサルティング・レポート制作会社の株式会社クレアンにて企画編集を担当。その後、株式会社umariにて地域や分野を横断する0→1を作るさまざまなプロジェクトデザインに携わる。雑誌「TURNS」の企画・地域コーディネーター・編集を担当後、神戸に移住。移住後はフリーランスで活動中。