第7回 私の東京

東京で暮らし始めたのは25歳の時だった。最初は物見遊山のつもりで浅草や上野の映画館に寝泊まりしていたけれど、この先どこかに行くあてもなかったので、賃貸情報誌を見て代々木の不動産屋に電話をかけ、掲載されていた中では一番安かった風呂もトイレもない四畳半の部屋を紹介してもらった。アパートのすぐ裏手にはチンチン電車(都電荒川線)が走っており、線路に沿うように八百屋や魚屋、肉屋や食堂が並ぶ小さくて細長い商店街が伸びていた。歩いて数分の場所に銭湯が5軒もあった。家賃は2万3000円。そこは古ぼけたアパートがたくさんある町だった。東京は何でも高い所だとイメージしていたけれど敷金礼金や不動産屋への紹介料を含めて10万円もかからなかったと思う。しばらくは仕事を探す気もなかったので貯金は少しづつ減っていったが、昼間から部屋で寝転んでは酒をちびちびと飲んで、数分おきに通るチンチン電車の走る音を心地良く聞いていた。日当たりは悪かったが、夕暮れ時になると少しだけ西日のおこぼれが柱に射して、何も荷物のない部屋を黄金色に照らす。その時間帯が好きだった。

 

東京に来ればたくさんの友達が出来て、東京に来れば毎日が活気にあふれ、東京に来れば熱く生きる事が出来るはずだという予感がしていたが、そんな気楽な妄想とは裏腹に、私の目の前には孤独でカビ臭い暮らしがあっただけだ。振り返ってみれば多くの日々を部屋で何もせずに過ごしていた。金がなくなれば日雇いの仕事を探し早朝からトラックに乗せられて、7000円ほどの給料をもらう。仕事がない日には部屋で酒を飲む。銭湯に行くと金が減るので夏でも冬でも流し台にむりやり頭や足をつっこんで全身を洗っていた。

引っ越して来た年の9月、たまには贅沢をするかというような気まぐれで銭湯に行き、やっぱり大きな風呂は気持ちが良いものだなんて思って湯上がりに体を拭いていると、番台に置かれた音のしないテレビ画面からは、高層ビルに旅客機が突っ込んでいく映像が流れていた。キャスターは何かをしゃべっていて、何度も何度も同じ映像が流れ、そのたびに旅客機がビルに突っ込んで行く。その頃は部屋にテレビもラジオもインターネットもなくて、私は世の中で何が起こっているのかも知らずに日々を過ごしていた。

路面電車が通るたびに、立てつけの悪い摺りガラスが音を立てて揺れた。

 

アパートの下の階には演劇をやっている同年代の管理人が住んでいた。同じボロアパートに暮らしてアルバイトをしながら芝居に打ち込む人間と、何をするわけでもなくぼんやり生きている私はなぜか気が合って、当時は彼の部屋まで毎月家賃を手渡しに行く方式だったから、月末になるとどちらからともなく立ち話をした。今度こんな芝居をやるとか、誰に影響を受けたとか、東京に出てきたきっかけとか。そんな他愛もない、翌日には忘れてしまうような話をするだけだったが、ある時普段おだやかな彼が「こんなクソみたいなところに7年も住んでしまいましたよ」と吐き捨てるように言った。若いうちに自分を探したり夢を追いかけたりするのは良いけれど、何年もたって捨てるきっかけをなくした夢や、もつれてほどけなくなった自意識は、やがて甘く腐ったにおいを放つようになる。私はそれをよくわかっていた。彼はきっと、飼えなくなった犬や猫をどこかに置いて行くような申し訳なさで、東京に夢を置いて去って行く。東京には飼い主に置き捨てられて行き場をうしなった夢や、もつれた自意識があちらこちらに浮遊している気がした。本当にクソみたいなところでした。そう言って彼はアパートを出て行った。クソみたいと吐き捨てられたアパートに私はその後12年住んだ。

 

去年ポケモンGOというゲームに夢中になっていた時、夜の新開地や生田神社(有名なポケモン出没スポットだった)の周辺をうろうろと自転車で走った。神戸はどこも路地だらけで、そこには私が普段移動する昼間の商店街の風景とは違って若者が多く、三宮周辺の小さなバーや飲食店のある通りは喧騒に満ちている。そんな路地裏を自転車で走りながら、この町で安いアパートを借りて1人で暮らすのも悪くない気がした。神戸という町が別にお洒落でもなんでもない事や、週末の夜中になると暴走族が走りパトカーがそれを追いかける事や、いまだに町の片すみに「シンナーボンド禁止」なんて立て看板が置かれている事や、「神戸の人は昔から外国から来るものを受け入れ慣れているから性格が開放的」なんていう上辺だけの物言いとは違い、実際には外国人や少数者に対してひどく差別的な視線を浴びせるような人もそれなりに存在する事を私は知っている。神戸は別に理想の町ではなく、私が暮らした東京と同じように、どこにでもある普通の町なのだ。そう思った時に私はなおさら、この町が好きになった。震災後、もし長田であのまま1人暮らしをしていたら。そんな人生が私にあったとしても、結局東京にいた頃と同じように孤独で、何にも打ち込めず、鬱屈した毎日を過ごしていただろうけれど。

 

夜中の3時に起きて覚醒し、眠れない事に腹が立つのか泣き叫び始めた子供を抱っこひもに入れて、町を自転車で走る。どれだけ騒いでいても、自転車に乗っている時だけはなぜかおとなしい。三宮フラワーロードを南下し、海沿いをメリケンパークに向けて走る今の40歳を過ぎた私と、孤独と鬱屈の中で神戸で暮らし自転車をこいでいる、ありえたかもしれない20代の私の姿がかぶり、海沿いの道を並走している気がした。停泊する巡視船が揺れる夜の海を、月の灯りが照らしている。そこにはいくつものありえたかもしれない人生が、光の中に浮かんでいる。私は今も時々、東京に住み始めたばかりの事を思い出す。まだ子供が生まれる前の、妻とも出会う前の、番台のテレビの中でビルディングに旅客機が1機、また1機と突っ込んでいったあの日の帰り道。飄々と、何ごとにも心動かされずに生きているつもりだったのに、わけもわからず苛立って、吸っていた煙草を地面に投げつけてサンダルで何度もふみ消していた、こげつくような痛みを思い出す。ありえたかもしれない人生について想像する時は甘美な光景ばかりが浮かぶのに、実際にあった日々の中には痛みだけがあった。「クソみたい」そうつぶやいた私の胸に抱かれて、子供はいつの間にかおだやかに眠っている。


僕らが僕々言ってゐる

その僕とは、僕なのか

僕が、その僕なのか

僕が僕だって、僕が僕なら、僕だって僕なのか

僕である僕とは

僕であるより外に仕方のない僕なのか

(山之口貘「存在」)


文と写真 平民金子

写真を撮ったり文章を書いたりしています。1975年生。東京か大阪かメキシコにいましたが、現在は神戸在住。


神戸市広報課より

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(掲載内容は2017年6月21日現在の情報です)

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