神戸市-KOBE-


1995年1月17日5時46分
夜明け前のまちに、走った激震

最終更新日
2014年12月24日

1995年1月17日、いつもと変わらない朝を迎えるはずだったまちは、20秒にも満たない揺れにより、その姿を大きく変えてしまいました。多くの人の命を奪い、住まいを、仕事を奪い、生活基盤に甚大な被害を与えたのです。

阪神・淡路大震災の概要

※人的被害・建築物・火事は神戸市内

発生日時:1995年(平成7年)1月17日午前5時46分

震源:淡路島(北緯34度36分、東経135度02分)

震源深さ:16キロメートル

規模:マグニチュード7.3

震度:6(一部地域で7)

人的被害

死亡者:4,571人(うち約7割が家屋倒壊による)

行方不明者:2人

負傷者:14,678人

避難:599カ所、236,899人(ピーク時)

建築物

全壊:67,421棟

半壊:55,145棟

火事

火災:175件

全焼:6,965棟

半焼:80棟

部分焼:270棟

ぼや:71棟

延べ焼損面積:819,108平方メートル

まちを襲った未曾有(みぞう)の大地震、そのときどんなことが起きていたのでしょうか。最前線で勤務していた職員に話を聞きました。

消防

周囲を取り囲む炎、空を覆った黒煙。経験したことのない火災

消防局警防課 濱田 宗徳

就寝中、突然の大きな衝撃で目が覚めました。激しい揺れが収まって、窓の外を見ると市街地に4〜5本の黒煙が見えました。家族に避難所に行くように伝え、すぐに原付に乗って出勤しました。

長田署に到着し、すぐにでも水を掛けたいと思い、署の前の消火栓を開けてみましたが水が出ません。水を確保するため、署の横を流れる新湊川をせき止めにかかりました。新湊川は底と両側面がコンクリート張りなので、下に降りるにははしごが必要で、重さ20キログラムの土のうを降ろしていく作業は困難を極めました。

川をせき止めた後、まだ消火活動に着手できていない現場に向かいました。後で知ったのですが、火災件数は震災発生直後の15分間で54件でした。これは年間に発生している火災の約8パーセントに相当します。

本来であれば、部隊を組んで出動しますが、火災の数が多過ぎて人手が足りず、4人で消火に向かいました。一軒でも家を守りたくて、路地の中に入って最前線で消火活動を行うも、炎は家屋を伝ってすぐに後ろに回り込んできて、後退させられるという状況を何度も繰り返しました。消火活動中に見える光景は、燃えている炎と空を覆い尽くす黒い煙、その中から時折のぞくオレンジ色の太陽だけでした。30年間務めてきましたが、周囲360度が全て燃えているような現場は経験したことがありません。歯が立たず、太い道路のところで延焼を阻止するということになりました。

全ての人を助けたかったし、全ての火災を消したかった。悔しい思いだけが残っています。

病院

院内に入りきらないほどの被災者、止まった電気、時間とともに増えていく犠牲者

西市民病院 看護師 山下 美香

震災発生時は寮にいました。周囲の建物が倒壊しているのを見て、まずは病院に行かなければと考え、歩いて病院に向かいました。普段通っている道は、倒壊した家屋のがれきでふさがれ、広い道に迂回(うかい)して病院に向かいました。病院に着くと、すでにたくさんの市民の方が来ており、自分たちが院内に入ることさえも難しいほどでした。

救急の処置を始めてしばらくすると停電し、明かりは非常電源の豆球のみになりました。室内が暗くて処置ができないので、朝日が入る正面玄関に移って対応を続けました。電気が使えないため縫合に使う道具の滅菌ができません。どうしても必要な人に限り、消毒液に浸して使うことを医師がご本人に説明の上、縫合を行いました。

当初は負傷者が多かったのですが、時間の経過につれて病院に到着した時点で亡くなっている人が増えていきました。

夕方になると最寄りの小学校が避難所に指定され、病院に避難を求めて来ていた人はそれぞれに移っていきました。また、近くの高校が遺体安置所に指定されたので、ご遺体を車に乗せて何度も往復して運びました。

少し落ち着いたのは、深夜0〜1時ごろ。一人でも多くの人が入れるよう、ベッドを撤去していた救急外来の床に、みんなで輪になり体育座りで、緊急のラジオを聴きながら過ごしました。少しでも寝た方が良いと思いましたが、余震も続いており眠れませんでした。外に出ると町は静まりかえっていましたが、東の方には、まだ燃えているところが見えました。

想像を絶する災害を前に、目の前の負傷者の対応で必死でした。今でも、振り返ると一人一人に十分な対応ができていただろうか、痛みを我慢していた人はいなかっただろうか、と医療に携わる者として自問自答することがあります。

避難所

大勢の人が生きていけるのか。水も電気もない学校

住吉中学校校長 中溝 茂雄

震災当時は鷹取中学校の教員でした。学校が心配で、車で家を出ましたが、途中から渋滞で全く動かなくなり、邪魔にならないところに車を停めて徒歩で学校を目指しました。校区に入った辺りから、たくさんの家が倒壊しており、知っている人に呼び止められて、救出の手伝いも行いました。

学校に着くと、避難する人が集まってきており、その日のうちに2,000人以上の方が来られました。まず体育館、次に会議室へ、次から次へと部屋を空けて入ってもらいました。水が使えず、昼すぎにはトイレが詰まり使えなくなりました。プールの水をトイレの前に置いたバケツに運び、流してもらうようにしましたが、とても追いつかず、中学生や高校生にも手伝ってもらい何時間もトイレの掃除をしました。

電気・ガスも止まっていました。街灯も消えたまちは午後5時を過ぎると真っ暗な世界でした。懐中電灯で救急医療チームの手元を照らしたり、ご遺体を運んだりもしました。避難所には50体くらいのご遺体が運び込まれました。一度にこんなに人が亡くなる場面に出合ったのは生まれて初めてのことで、足が震えました。水も電気もない中で、これだけ大勢の人が生きていけるだろうかと不安でしたが、何とかして避難してきた人の衣食住を確保しなければならないという思いでした。

地震前の1月13日に三年生の理科の授業で地震の話をしました。その中で地震は起こり得ることだと説明はしましたが、17日にこんなことになるとは思いませんでした。授業では命の大切さ、命を守らなければということまで伝えられていなかったことが今も心残りです。

水が出ない、電気が止まっている、普段であればできるはずの対応ができず、守りたい、助けたいという思いが悲しみや悔しさに変わっていく。

人知を超えた自然の力は、多くの犠牲をもたらし、さらに、助かった人たち、助けようとした人たちの心にも消えることのない大きな傷を残しました。

震災の記憶を、日ごろの備えに

語り部 NPO法人「神戸の絆2005」岩本 しず子さん

私は戦争を経験したので、就寝時には服や靴などを近くに置いています。震災の時も服を着替えて外に出ることができました。災害時には日ごろから備えているものが活(い)きてきます。助け合いもそうです。普段から自分も人も大切にできる人が、いざというときに助け合えるのだと思います。

震災から20年、経験した人が少なくなっていく中、経験を語り、命の尊さ、備えの大切さを伝えていきたいです。

減災 〜命を守るために

阪神・淡路大震災で亡くなった方のうち、約80パーセントは住宅の倒壊が原因でした。また、いつ起こるか分からない地震に備えて、自身の、そして大切な家族の命を守るため、住まいの耐震化を進めましょう。

●市が行っている住まいの耐震化のためのサポート

(1)家具固定の補助…最大1万円。65歳以上の人、障害のある人、小学生以下の子どものいずれかがいる世帯が対象

(2)家具固定専門員の派遣…地域で5戸以上まとまって申し込み。(1)の対象世帯は2家具まで無料

(3)無料耐震診断

(4)設計費・工事費の補助

(3)(4)は昭和56年5月31日以前に着工した住宅が対象

※申請方法など詳細はすまいるネットへ問い合わせてください

●講演会「やってみよう!すまいの中の安全対策!」 無料

日時:1月22日(木曜)14時〜

場所:国際会議場401号室

申し込み:はがきか電話かFAXか電子メール(taishin@kobe-sumai-machi.or.jp)で、住所・氏名・電話番号・FAX番号・参加人数を記入し、すまいるネット(〒651-0096雲井通5-3-1)へ。1月15日(木曜)必着。抽選

●聴いて学ぶ 震災20年ラジオイベント

緊急時の情報収集に欠かせないラジオ。関西のラジオ局のキャスターによる阪神・淡路大震災に関するトークセッションを行います。耐震化や減災に関する情報を発信します。ラジオ本体と電池の状態も確認しておきましょう

日時:1月16日(金曜)18時30分〜、ラジオ関西

   1月17日(土曜)17時〜、ラジオ大阪

問い合わせ

すまいるネット(電話222-0186、FAX222-0106)

耐震化促進室(電話322-6608、FAX322-6094)

感謝を込めて

阪神・淡路大震災では国内外から多くの支援を受けた神戸。震災後5カ月でボランティアの数は延べ122万人を超え「ボランティア元年」といわれました。

被災地に職員を派遣

市は、世界中からいただいた支援に感謝の気持ちを持って、国内外で発生した自然災害に対して職員の派遣などを積極的に行っています。平成23年3月11日に発生した東日本大震災の被災地には、これまでに延べ1,874人の職員を派遣。今も土木、建築などの専門知識を持った職員14人が現地で復興支援に従事しています。

派遣にあたっては、阪神・淡路大震災を経験した職員と、経験していない職員がペアで活動し、災害時の経験や対応のノウハウを伝えるなどの取り組みも行っています。

福島県で下水道の復旧を支援して

中央水環境センター 井本 博

災害時は現場の状況を見て判断する力が必要です。若い人も積極的に災害支援に参加し、経験を積んでほしいです。

下水道河川部保全課 木下 裕介

被災地では、震災から復旧した神戸への期待の大きさを感じました。その一員としての自覚を持って成長していきたいです。