神戸市-KOBE-


兵庫城跡みつかる

記者資料提供(平成24年7月30日)
教育委員会事務局
社会教育部文化財課 担当者名千種・安田・小林
TEL:078-322-6480 内線:6425

兵庫城跡みつかる

−戦国時代末期の石垣を確認−

◆所在地◆
神戸市兵庫区中之島2丁目 現中央卸売市場本場西側 旧中央卸売市場本場跡地
(神戸市市営地下鉄 海岸線 中央市場前駅下車)
◆調査に至る契機◆
中央卸売市場本場跡地における汚染土壌の除去に伴う発掘調査
◆遺跡の名称◆
兵庫津遺跡(ひょうごついせき)
◆兵庫津遺跡の概要◆
兵庫津遺跡は、現在の兵庫区南東海岸部に位置し、南北約2キロメートル、東西約1キロメートルの範囲が想定されています。これまでの56次におよぶ発掘調査の結果、港湾都市として栄えた江戸時代の町屋跡や寺院跡が見つかり、当時の人々のくらしぶりが少しずつわかってきました。
兵庫津の港としての歴史は古く、奈良時代の大輪田泊までさかのぼります。平安時代後期には、平清盛が日宋貿易の拠点として整備したことでも知られています。戦国時代に入ると、商業的な面だけでなく、軍事的な面でも重視されるようになります。
天正8(1580)年には、天下統一をめざす織田信長の家臣である池田恒興らが荒木村重方の城である花熊城を攻撃し、その落城とともに兵庫津もその一部が焼失しました。その直後、池田恒興により、現在の中央市場跡地付近には兵庫城が築かれます。その際には、花熊城を解体した石材を使用したとの記録があります(『花熊落城記』1732年)。兵庫津の町は、この兵庫城を中心に、江戸時代中期以降には約2万人が暮らす港湾都市として発展していきます。
 兵庫城は、江戸時代に入ると尼崎藩の支庁である兵庫陣屋となります。その後、明和6(1769)年以降は幕府の直轄領となり、出先機関として勤番所が置かれます。明治時代には最初の兵庫県庁が置かれました。平成16年に行われた第35次調査では、城跡の北西隅を調査し、勤番所時代の石垣を確認しています。
 兵庫津は中世以来、幕末の神戸開港まで港湾都市として発展していましたが、その湊町兵庫津の中心部に築かれた兵庫城は、港湾との関わりを強く意識して築かれた城であったと考えられます。
◆今回の調査について◆
調査期間 平成24年2月14日〜 現在調査中
調査面積 約4,400平方メートル
今回の発掘調査は、今年の2月より調査を開始しました。調査の結果、戦国時代末期に池田恒興によって築城された兵庫城の堀の石垣が、大きな改変を受けずに見つかりました。この堀の位置は江戸時代の元禄9(1696)年に作成された絵図に描かれている兵庫城の堀の南側と南東角付近にほぼ重なることがわかり、これまでその実態が明らかでなかった築造当初の兵庫城の一部が初めて我々の目前に現れたのです。
今回の調査では石垣を城の東側で約40m、南側で約10mに亘って確認しました。堀の幅は広いところで18mあり、石垣は堀底から約1mほどが残っていました。石垣の石材にはそのほとんどは花崗岩の自然石が使用されていますが、一部には供養塔や墓石であった五輪塔などが転用されて多量に使用されていました。石垣の構造や使用されている石材などから、この石垣は池田恒興が築城した戦国時代末期(1580年ごろ)の石垣の可能性が非常に高いと考えられます。
兵庫津はその後、江戸時代中期の明和6年(1769)に尼崎藩領から幕府領に変わり、その際に兵庫城の堀は埋められ、石組みの溝になり幕末に至りました。その石組みの溝も今回の調査では見つかっています。
明治以降、明治7年(1874)には兵庫城の中心部を貫くように新川運河が開削され、また大正期には中央卸売市場が開場して、兵庫城は地上にその痕跡を全く留めてはいませんでした。今回の調査によって兵庫城は約240年ぶりにその姿を現したのです。
現地は現在も調査中ですが、兵庫城の石垣の様子が判明しましたので現地公開することになりました。戦国時代末期の石垣が、地中から見つかったことは例が少なく、今回の発見は戦国時代の城郭から近世城郭へと変化する当時の築城技術の変遷を考えるうえで大変意義深いことです。
◆〈参考〉 兵庫城 関連年表◆
天正8(1580)年 池田恒興が築城。荒木村重の花熊城を解体し、その用材を用いたとの記録がある(『花熊落城記』1732年)。
天正11(1583)年 池田恒興、美濃へ転封。兵庫・尼崎が三好(豊臣)秀次に与えられる。
天正13(1585)年 羽柴秀吉の直轄領となる。片桐且元が代官となり、「片桐陣屋」と呼ばれる。
慶長元(1596)年 慶長伏見地震。兵庫津も被害を受ける。
元和3(1617)年 尼崎藩領となる。奉行がおかれ「兵庫陣屋」と呼ばれる。
元禄9(1696)年 『摂州八部郡福原庄兵庫津絵図』が描かれる。「御屋敷」と表現される。
明和6(1769)年 幕府直轄領となり、「勤番所」が置かれる。このころ、堀が埋められる。
文久2(1862)年 『兵庫津之圖』が描かれる。「御番所」の周りも町屋となっている。
明治元(1868)年 兵庫県庁が置かれる。4ヶ月で移転する。
明治7(1874)年 新川運河開削により、中心部の大半が削られる。

◆現地一般公開◆
平成24年8月4日(土)午前10時00分〜12時00分まで調査現場を一般公開(現地説明会開催)致します。当日は上記の遺構や出土遺物などが見学でき、発掘調査担当学芸員による遺跡解説もあります(小雨決行)。
交通
神戸市営地下鉄海岸線 中央市場前駅下車 すぐ
* 現地には駐車場がありません。近隣の方のご迷惑になりますので、公共交通機関をご利用ください。自転車置き場もありません。
当日の問い合わせ先
 兵庫津遺跡発掘調査事務所  電話番号 090-1488-2652
 (当日、天候不順の場合は、開催の有無を電話でご確認ください)