神戸市-KOBE-


KOBEの本棚 第51号 ‐神戸ふるさと文庫だより‐

最終更新日
2009年3月25日

内容

創設時(大正11年)の海洋気象台創設時(大正11年)の海洋気象台(『兵庫県の気象−空と海を見つめて100年』より)

花街・花隈

今日(こんにち)「花隈」と聞くと、花隈公園の石垣が目に浮かびますが、数十年前までは日本有数の高級花柳街として知られていました。初代兵庫県知事伊藤博文によって花街として発展。第一次大戦後の好景気には、船成金らで賑わいました。西園寺公望、桂太郎など、訪れた有名人は数知れず。最盛期のお茶屋、料亭は百軒以上、芸妓は五百人以上いたといいます。

しかしその花隈も、”お座敷遊び”が勢いを失うにつれて、瀟洒(しょうしゃ)な日本家屋はマンションや駐車場に姿を変えていきました。揺れる柳、行き交う芸妓、三味線の音...。「神戸=ハイカラ」では括(くく)りきれない魅力に満ちていた界隈にかつての面影は見られませんが、今は心地よい静けさが訪れる人を魅了しています。

余談ですが、花隈芸妓は一流の客に接するゆえ、優れた洞察力で客の出世の如何を予測できたそうです。流行の「祇園芸妓」や「銀座ママ」の本にまじり、花隈発の出世論が出版されていたかもしれません。それとも、その芸の高さと行儀の良さで知られた花隈芸妓、粋な経験談は胸のうちに秘めていたのでしょうか。

新しく入った本

工場を歩く−ものづくり再発見

加藤正文文 綱本武雄画(神戸新聞総合出版センター)

工場を歩く−ものづくり再発見新幹線から歯ブラシ、湯たんぽ、修正液まで県内には実に様々な工場がある。完全無農薬の野菜をつくる工場もある。農場ではなく工場だ。多様化した現代社会に応える現場は、大量生産の時代を終え、多品種少量生産にみごとに対応している。ハイテク化した工場の中で、最後は人の技が生きるのだ。

そんな地域産業の今を伝える本文に、細かな線描のイラストが静かに味わいを添えている。

ちゃぶ台を囲んだあの頃−東出・西出での暮らし

荒木茂(西出東出まちづくり協議会)

兵庫区東出町、西出町では、地域の歴史を知ろうと、歴史講演会を開催している。本書はその第6回講演で、同町に生まれ育った著者が、戦前から戦後にかけての暮らしを語った内容をまとめる。

その時代の象徴とも言える「ちゃぶ台」をはじめ、「へっついさん」「かんてき」など、懐かしい言葉とともに、当時の町の生活をうかがい知ることが出来る。

神戸と居留地−多文化共生都市の原像

神戸外国人居留地研究会編(神戸新聞総合出版センター)

旧居留地と言えば、神戸を代表する観光地だが、その成り立ちは意外と知られていない。

本書は、近世と近代、西洋と日本の挟間を生き、居留地をつくり上げてきた人々を活写することで、どのような歴史的背景を持ち、今に至るかを描いている。読みすすむと、いかに明治の神戸っ子が新しいもの好きの挑戦者かがうかがえる。

舞台となる明治は遥か昔の物語だが、今につながる神戸気質の原像を追うことで、バブル期以降の神戸が抱える地域課題解決への提言が見えてくる。

生田神社

加藤隆久(学生社)

生田神社お正月、参拝に訪れる人で境内は身動きできないほどになる生田神社。参道には「門松」ではなく、杉の小枝を盛り合わせた「杉盛(すぎもり)」が飾られている。これは「門松」の一種とみることができるのか。生田神社宮司で神戸史談会会長でもある著者は、様々な史料と風習を合わせて考察していく。

生田神社の歴史のみならず、文学や生田の森の植物など、多面的に解説した案内書。

情熱と感動の仕事術−神戸発小さなホテルの女性支配人が書いた

永末春美(カナリア書房)

30歳で神戸初の女性ホテル支配人になった著者が、最初に取り掛かったのは、施設のリニューアルとスタッフの意識改革。時に反発をうけながらも、「神戸らしい」ホテルを目指し、顧客だけでなくスタッフの満足度も高める組織作りに取り組む様子が描かれている。

「1%でも可能性があるのなら、とにかくやってみる」「決断力をつけるには、まず体力と気力をつけること」といった、経験に裏打ちされた言葉は力強い。

見はてぬ夢を−「視覚障害者」の新時代を啓いた左近允孝之進の生涯

山本優子(燦葉出版社)

見はてぬ夢を左近允(さこんじょう)は明治3年、鹿児島に生まれ、東京の大学に進むが中途退学。26歳の時に失明し、後に従兄弟を頼って来神した。明治38年6月、神戸訓盲院(現兵庫県立盲学校)を設立。また、点字の活版印刷機を発明し、点字新聞を発刊するなど、視覚障害者のために尽力したが、39歳の若さで亡くなった。

著者は、神戸市在住の児童文学者。左近允についての資料が少ないため、「登場人物である視覚障害者の男性が書いた伝記小説」という体裁をとるが、限られた資料を丹念にたどった力作である。

ドンクが語る美味しいパン100の誕生物語

松成容子(旭屋出版)

明治38年に神戸で創業した「藤井パン」を前身とする「ドンク」は、今年創業100年を迎えた。

それを記念してまとめられた100の物語には、日本におけるフランスパン普及に貢献し、食文化に大きな影響を与えてきたドンクの足跡が記されている。

本物で美味しいパンを生み出す苦労や喜び、「DONQ」という名前の由来や「夕張メロンパン」の誕生秘話…。店頭で知ることの出来ないエピソードは、何気なく食べているパンにもたくさんの歴史があり、その美味しさは作り手の絶え間ない努力の賜物であると教えてくれる。

貧しい人々と賀川豊彦

雨宮栄一(新教出版社)

貧しい人々と賀川豊彦キリスト教徒として、神戸の地で貧しい人々のために尽力した賀川豊彦。彼の活動は貧民街での救済活動から、労働運動、農民運動へと移っていく。関東大震災の後は、東京で基督教産業青年会を起こし、新たな活動を展開する。行動を変化させながらも、賀川が貫いた信念とは何なのか。

資料を緻密に検証し、賀川の目指した「人間そのものの救い」を解き明かした1冊。

神戸歴史トリップ−新・中央区歴史物語(改訂版)

道谷卓(神戸市中央区役所)

神戸歴史トリップ生田区と葺合区が合併し、中央区が誕生して今年で25年。そして、あの阪神・淡路大震災から10年という節目の年でもある。

本書は、中央区の先史時代から現代までの通史や、エリアごとの名所旧跡を紹介しており、ガイドブックとしても使える。これまでに出版された『中央区歴史物語』『新・中央区歴史物語』の改訂版で、装丁やレイアウトを変え、より読みやすくなっている。

その他の新刊

書庫探訪 その7

『兵庫口説(ひょうごくどき)』

兵庫口説「口説」とは歌謡の一種で、歌と語りの中間に位置する節のことです。もともとは物語形式の長編歌謡が発展したもので、その曲節や歌詞には一定の形式があります。また、音頭形式で歌われることが多いために「踊音頭」とも呼ばれます。

「兵庫口説」は、元禄年間に流行した大阪の盆踊り歌「ゑびや節」の流れを受けて、摂津国兵庫地域で誕生したと考えられています。七七調を基本に、全国各地の名所や歴史上の人物を描き、その一つである「播磨名所づくし」には、高砂相生の松や姫路城といった播磨の名所がたくさん紹介されています。また、享保の頃から「義経千本桜」などの浄瑠璃を題材にした「兵庫口説」が、竹本座や豊竹座で宣伝に使われ、西日本一帯へと広まりました。「兵庫口説」の歌詞は各地の民謡に取り入れられ、越後甚句のルーツとなったとも言われています。

※当館では、灰屋輔二の出版ほか、数編を所蔵しています。

ランダム・ウォーク・イン・コウベ 51

神戸海洋気象台

マーシャルの記録原簿マーシャルの記録原簿(『神戸海洋気象台沿革誌』より)

「夕焼けの翌日は晴れ」

このように、空を見て天気を占ったことはありませんか?天気は私たちの生活と深い関わりがあり、たくさんのことわざが伝えられています。

現代では私たちの目に代わり、気象衛星やレーダーが大気を観測して、天気予報が発表されています。気象台の測風塔やメリケンパークの検潮所など、皆さんも、知らずにその設備を目にしているかもしれません。

神戸における気象観測の始まりは、明治8年。神戸港の初代港長ジョン・マーシャルが、1日1回、海岸通の港務所で行いました。当時の神戸港は十分に整備されているとは言い難く、マーシャルは気圧・気温・風位・風力・天候を測定し、そのデータを港湾管理に役立てようとしたそうです。観測は2代目港長のマールマンに引き継がれ、明治31年まで続きました。

明治20年、気象台測候所条例が公布され、全国各地に測候所が設置されます。兵庫県でも県会の裁決を経て、明治29年、中央区の宇治野山に兵庫県神戸測候所ができ、地方天気予報や警報を発表しました。

春風丸1世春風丸1世(『兵庫県の気象−空と海を見つめて100年』より)

また、大正初期には第1次世界大戦の影響で海運業が未曾有の発展を遂げ、海難事故を防ぐために、海の見張り番である海洋気象台の必要性が唱えられるようになりました。しかし、その経費はとても政府でまかなえるものではありません。政府の意を受けて、兵庫県知事清野長太郎は、大正7年、海運業者に出資を諮りました。新しい物好きの神戸っ子ゆえでしょうか。彼らは「大ニ此挙ヲ賛シ庁舎付属舎全部ヲ建設シテ之ヲ政府ニ寄付センコトヲ諾」したといいます。このいきさつは『海洋気象台建設記念銅板』として、現在も神戸海洋気象台に残っています。

こうして大正9年、神戸測候所の敷地内に、日本初の海洋気象台が誕生しました。中央部に測風塔を備えた、煉瓦造りのハイカラな洋館でした(表紙写真)。海洋気象台は、東京の中央気象台・茨城の高層気象台と合わせて3大気象台と呼ばれ、関東大震災で被災した中央気象台に代わって、全国に天気予報を発表したこともあります。また、大正10年に出版された『海洋気象観測法』には、観測の心得や計器の使い方、海面を漂う流木の観察法などが詳細に記され、当時の意気込みがうかがえます。昭和2年には観測船「春風丸」が完成し、大阪湾・瀬戸内海・南西諸島・日本海と、広い範囲で海洋観測に活躍しました。

昭和14年、気象官署官制の施行に伴い、先の神戸測候所は海洋気象台に合併されます。そして、函館海洋気象台の発足を機に、神戸海洋気象台へと改称。昭和24年には中央気象台の地方機関となりました。

このように改変を繰り返してきた海洋気象台ですが、これまでに2度の大惨事に見舞われています。昭和20年の神戸大空襲では庁舎の大半が吹き飛び、職員四名が殉職する被害を受けました。春風丸も被弾して航行不能となりました。また、平成7年の阪神・淡路大震災では庁舎が破損し、風観測の場所選びに四苦八苦しながら、神戸防災合同庁舎(中央区)へ移転をよぎなくされました。

現在、神戸海洋気象台は、地方気象台として兵庫県の陸上予報と、四国沖および瀬戸内海の海上予報を担当しています。テクノロジーの進歩はめざましく、予測精度の向上や情報の即時発信などが実現しつつあります。気象台は今日も、気象とその安全を見守り続けています。

参考図書