神戸市-KOBE-


KOBEの本棚

最終更新日
1997年3月20日

-神戸ふるさと文庫だより-
第22号 1997年3月20日
編集・発行 神戸市立中央図書館

神戸に来たユダヤ人

一九四〇年七月末リトアニア。ナチスドイツのポーランド侵攻を逃れた何百人ものユダヤ人が、首都カウナスの日本領事館につめかけた。ソ連、日本を経由し、第三国へと逃れるためである。
日本外務省は彼らに対する日本経由のビザ発給を拒否したが、当時の領事杉原千畝は、処分覚悟の独断で彼らにビザを発行した。この頃リトアニアはソ連に併合され、各国領事館には退去命令が出されていた。残された短い時間のなかで、杉原は六千人分のビザを発行した。それは、彼がカウナスを去る列車の中まで続いたという。
ビザを手にしたユダヤ人たちは、モスクワからシベリア鉄道でウラジオストクへ、そしてハルピン丸に乗船し、第一陣が敦賀に上陸したのが十月六日であった。神戸のユダヤ人協会やホーリネス教団の尽力により、彼らは神戸の地で長かった逃避行の疲れを癒し、安住の地を求めてアメリカやパレスチナへと旅立って行った。こうしてナチスドイツの手を逃れて日本にやって来たユダヤ人は、じつに一万五千人にのぼった。

新しく入った本

花ひらく神戸−六甲山とその周辺に咲く花
安原修次撮影・著(ほおずき書籍)
本書には神戸の野山に咲く一七〇種あまりの花の写真が収められている。著者は何度も同じ花のもとへ足を運び、時には早朝にもバイクを走らせ、それぞれの花が最も美しく咲く時を撮ろうとする。これらの写真は、著者と花々との一期一会の記録と言えよう。著者はまた、開発によって消えゆく花々を惜しみ、野草を掘り取る心無い行為に怒る。個々の写真に短く添えられた一文からは、自然をこよなく愛する著者の人柄がしのばれる

祭礼行事・兵庫県
高橋秀雄・久下隆史編(おうふう)
節分の日、福を内へ招き、鬼は外へ追い払う。本来、鬼は災厄から人々を守る、超人的な存在であった。長田神社の追儺式は古式を今に伝えることで有名で、一番太郎鬼、赤鬼、姥鬼など七鬼が登場し、重要な役割を演じる。春祭や秋祭の殆どが、五穀豊穰の祈願と感謝のためであり、日本人が稲作民族であることを再認識させられる。祭に参加する人々の、地域と一体となった幸福な姿が写真に溢れている。

KANSAI夜景100選
関西経済同友会編(東方出版)
六甲山上から眺める夜の神戸の街は、宝石箱をひっくりかえしたように美しく、百万ドルの夜景と呼ばれている。夜景といっても、ライトアップされた街や建物だけでなく、祭や花火、夜桜や蛍や夕景など、日本らしい夜の風景も数多く紹介する。
神戸では、メリケンパーク、ハーバーランド、東神戸大橋、南京町、神戸ルミナリエなど、十一がとりあげられている。

イメージとマネージ
平尾誠二・松岡正剛(集英社)
神戸製鋼ラグビーの平尾と、長年のラグビーファンで特に平尾の試合に注目してきた松岡との、熱気こもる対談が展開する。史上初の七連覇を果した新日鉄釜石と神戸製鋼とを比べ、前者を日本人的ラグビー、後者を自由でアーティスティックなラグビーと評する。この違いは日本の社会や経済にも相通ずるものがある。二人の対談にラグビーの醍醐味を味わうことができる。

トーマス・グラバー伝
アレキサンダー・マッケイ 平岡緑訳(中央公論社)
長崎の観光名所グラバー邸で名高いトーマス・グラバーは、スコットランド生まれの貿易商人。一八五九年(安政六年)長崎に来日し、グラバー商会を設立。六甲山開発やゴルフをわが国に紹介したことで知られるグルームも、一時期神戸のグラバー商会に勤務していた。日本人によるグラバー伝は幾冊かあるが、同郷のスコットランド人によるものは、本書が最初である。

神戸居留外国人のスポーツ50年史−神戸レガッタ アンド アスレチック クラブ1870年〜1927年
棚田真輔[ほか](神戸スポーツ史研究会)
昭和二年に発行された英文冊子『The Kobe Regatta and Athretic Club』を翻訳し、写真などを挿入したもの。
原著は、神戸の近代スポーツ史上重要な資料だが、発行部数が少なく、国内での所在は不明であった。
翻訳されたのは、オーストラリアの国立図書館で発見されたもので、寄贈者の遺言により邦訳が禁止されていたが、遺族の許可を得て今回の出版に至った。
クラブの創設以来約50年間の活動が詳しく記されているほか、当時の風俗が垣間見えるイラストや新聞の広告も併載されている。

少年H
妹尾河童(講談社)
鷹取駅の浜側、本庄町で育った著者の自伝小説。太平洋戦争が始まる直前から終戦直後までの少年時代を振り返る。
H(エッチ)は主人公のあだ名。洋服屋を営むキリスト教徒の両親と優しい妹の家庭で育ったHは、痛快なほどわんぱくでしたたかだが、思いやりがあり、純粋である。
ひずんでゆく状況に翻弄されながらも、好奇心旺盛なHは、あらゆるものを自分の目で確め、判断しようとする。「本当のボクはカアチャンの思いどおりの子やないで」と思いつつ、イイ子を装っていたHが、中学生になり、大空襲の夜、母親を支えるたくましさが印象的。
須磨の海や新開地など舞台のなじみやすさはもちろん、少年の成長のドラマとして、読み手を魅きつけてやまない。

揺れる大地−日本列島の地震史
寒川旭(同朋社出版)
日本列島は複数のプレートがぶつかり合ってできた、地球表面の大きなシワである。プレート境界とシワ上の無数の活断層で大地震が引き起こされる。
関東大震災などプレート境界上の大地震、濃尾地震や阪神・淡路大震災など内陸の大地震を、記録や遺跡に残された痕跡をもとに、縄文時代までさかのぼる。
日本人の歴史が、じつに地震との闘いであったことがわかる。

大震災と人間のこころ−医者の目にも涙 その四
佐藤英一(文化創作出版)
著者は神戸大学医学部の教授であり、エッセイストとしても活躍中。本書は好評エッセイシリーズの第四弾である。
恩師や同僚、かつての恋人、今は亡き父、嫁いだ娘などをめぐって、ペンは人生の機微にふれる。特に、本書第一部「大震災余滴」では、震災後に著者が見聞きし感じとったさまざまな人間模様が、自らの過去への追想とからめて綴られている。

復興への譜(みち)−詩集・阪神淡路大震災 第三集
アート・エイド・神戸編(詩画工房)
被災地の芸術文化復興の運動〈アート・エイド・神戸〉の一環として、震災の三ヶ月後に『詩集・阪神淡路大震災』が発行された。翌年一月には第二集が、そして三度目の冬をむかえた今年、第三集が発行された。
被災地の真の復興は、まだまだこれからである。しかしこのアンソロジーの発行は、被災者たちにとっては共感と励ましとなり、詩人たちにとっては、自らの癒しとなっているのではないだろうか。

《 そ の 他 》

近畿方言考 5 兵庫県
井上史雄ほか編(ゆまに書房)

笑楽の系譜−都市と余暇文化
竹村民郎(同文館出版)

関西おもしろ博物館
藤井文子編(山と溪谷社)

みんな輝け−黒津先生の障害者教室
黒津右次(せせらぎ出版)

追想の扉
淀川長治(TBSブリタニカ)

私の愛した勝負師たち
内藤國雄(毎日コミュニケーションズ)

勇気のなかに−Keep on running
大八木淳史(アリス館)

詩集 ピクニックストリート
小西民子(編集工房ノア)

光の庭−上野晴夫歌集
(短歌新聞社)

阪神・淡路大震災の教訓
石橋克彦(岩波書店)

震災とインターネット−神戸からの提言
田中克己編著(NECクリエイティブ)

甦る11棟のマンション−阪神大震災・再生への苦闘の記録
日経アーキテクチュア編(日経BP社)

がむしゃらマラソン9〇〇キロ
宍戸美智子(三一書房)

わが街再発見コーナー新着図書

(三宮図書館)

[港]
帆船−海と空と風と 今川日出男(成山堂出版)
歴史海道のターミナル−兵庫の津の物語 神木哲男・崎山昌広編著(神戸新聞総合出版センター)

[ビジネス]
なぜこの会社が強い−ビジョナリーカンパニーへの道 日経ビジネス編(日経BP社)
グループウェア・マネジメント−集団の知的生産を高める手法 田中一成(日本実業出版社)
税率5%時代の消費税完全対策 (税務経理協会)
3年後。サラリーマンはこうなる−「給料」から「求められる社員像」まで、93テーマ全予測江坂彰(PHP研究所)
ひとことの輝き−ビジネスリーダーの名言 (日本経済新聞社)
司馬遼太郎−読む・学ぶ ビジネスマン読本 現代作家研究会編(日本能率マネジメント協会)

ランダム・ウォークイン・コウベ 22

神戸ユニオン教会の写真ヴォーリズと神戸
ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、子どもの頃から知っている家庭常備薬、メンソレータムの会社起業者であり、日本に千件以上の建築物を残した人物だが、その名は以外に知られていない。
昨年十月、文化財保護法が改正され、新たに「文化財保護制度」が導入された。これは、開発や所有者の都合で消失するおそれのある近代建築物を対象とした制度で、修理費用や税金面で優遇し、保存に努めようとするものである。初回答申で、市内から「水木家住宅」(東灘区御影町/昭和元年)と「室谷家住宅」(須磨区離宮前町/昭和六年)の二件が選ばれた。後者の設計がヴォーリズである。
「室谷家住宅」は、英国十六世紀のチューダーゴシックスタイルで、急勾配のスレート屋根、重厚な煉瓦積み壁、ハーフティンバーと呼ばれる壁面から露出した木骨と、間を埋める壁のコントラストが美しい。落ち着きと装飾性が見事な均衡を持つ西洋館である。以前摩耶山麓にあった、カナディアン・アカデミーの校舎もこの様式であった。
ヴォーリズは、一八八〇年(明治十三年)アメリカの敬虔なキリスト教徒の家庭に生まれた。建築家を目指すが、大学在学中に、女性宣教師の講演に神の啓示を受け、外国伝道に身を捧げる決心をする。明治三十八年、滋賀県立商業学校の教師として来日。教壇は二年余りで去り、以降活発な布教活動とともに、近江八幡を中心に、活動資金捻出のための企業経営に励んだ。その一つが前出の医薬品であり、また建築設計事業であった。彼は日本人女性と結婚し、昭和十六年には帰化、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗る。戦後、近江八幡市名誉市民第一号として推挙されるなど、「青い目の近江商人」としても名を馳せた。
全国で教会建築も数多く手がけ、市内には、神戸ユニオン教会(中央区生田町/昭和三年)がある。
また、私立ミッション系学校の設計も数多い。関西学院大学(西宮市)の美しいキャンパスが彼の設計として有名だが、同学院が明治二十二年、原田村(灘区王子公園)に開学した当時の建物の大半が彼の設計であることはあまり知られていない。現在の校舎はスパニッシュミッションスタイルという様式だが、この米国カリフォルニアの教会建築様式を日本に取り入れたのが彼である。赤い瓦、小造りの庇、白く明るい壁などの特徴は、軽快かつ華麗なイメージで、彼の多くの作品に採用された。この様式の個人住宅が「小寺邸」(東灘区住吉山手/昭和五年)である。
現在、百貨店として利用されている旧居留地三十八番館(旧ナショナルシティバンク神戸支店/中央区明石町/昭和四年)は、ギリシア建築を彷彿とさせる重厚な外観としっとりとした風合いで、今では数少なくなった旧居留地の面影を残す建物として、今や貴重な存在といえる。
ヴォーリズの建築様式は多彩だが、その基礎には「実用性」という太い柱が貫かれているという。最適の手法と工夫を駆使し、最高の品質をめざすのが彼の姿勢だった。その作品には、丁寧で温かく、手づくりの魅力がある。今なお、人の心を引きつけるのは、無味乾燥でデザイン優先の現代建築へのアンチテーゼなのかもしれない。