公開資料 解説付き一覧

資料名坂本村略図(写) (さかもとむらりゃくず)
解 説兵庫津の北に位置した坂本村の耕地を図示した略図です。凡例にあるように赤で道、青で池・川・溝筋、茶で人家を図示しています。村落の北側は、坂本村の耕地で構成されていますが、北側に「奥平野村田地」、北東に「宇治野村田地」、南側(「楠公碑堂」)には「兵庫田地」との記載があるように、それぞれに周辺の村落や町の住民から出作が入って、耕作されていたことがわかります。
資料名新改正摂津国名所旧跡細見大絵図 (しんかいせいせっつのくにめいしょきゅうせきさいけんだいえず)
解 説江戸時代の摂津国全体の地図です。主な河川、街道、村、地名の他に名所旧跡、名産品、和歌、大坂からの距離なども付記しています。現在の神戸市の須磨区以東についても細かく記載されています。
資料名摂州有馬山絵図 (せっしゅうありまやまえず)
解 説左下に落葉山と善福寺、その右上に一ノ湯、二ノ湯が描かれています。ほぼ中央には温泉寺、その右側には念仏寺、極楽寺、温泉三社の建物が描かれています。通りには行きかう人々も表現されています。有馬温泉を訪れた記念に当時の人々が買い求めたものと思われます。
資料名摂州兎原郡図(写) (せっしゅううはらぐんず)
解 説幕府領であった兎原郡のうち、辻甚太郎御預り所の熊内村・中尾村・筒井村・生田村・小野新田五カ村を図示した絵図です。凡例にあるように、青で川筋、黄で田畑、赤で道が示されています。村落名が記された白い部分は、それぞれの集落があった場所を示しています。脇浜村に「塩谷大四郎様御代官所」と張り紙があるので、明和6年(1769)以降の状況であることは確かですが、さらに辻甚太郎の名からすると寛政期(1788~1800)の様相を図示しているものと思われます。
資料名摂州須磨寺往古伽藍図 (せっしゅうすまでらおうこがらんず)
解 説須磨寺の伽藍配置を柔らかな筆使いで、細かく描いています。本堂、塔、各塔頭とともに多くの人物が表現されています。僧侶、貴族、参詣者、武士、あるいは牛を引く人、船を引く人などその姿は多様です。製作年代は不明ですが、その当時の須磨寺を正確に写したものではなく、往時を想像しながら絵巻物風に表現しています。
資料名摂州須磨浦一ノ谷真景細見 (せっしゅうすまのうらいちのたにしんけいさいけん)
解 説海側から眺めた江戸時代の須磨の風景を描いた版画です。真景図というのは、実際の景色を観察して描かれたもののことです。須磨寺の伽藍を中心に西は敦盛塚まで、道中の名所を描いています。観光土産としてたくさん作られたものの一つです。
資料名摂州布引滝図 (せっしゅうぬのびきのたきず)
解 説勢いよく流れる布引の滝を描いた版画です。茶屋で休憩している人や、滝を眺めている人の姿も描いています。布引の滝は、古くから名所として知られており、多くの和歌によまれたり、描かれています。特に明治時代以降は観光の土産品として、絵葉書とともにたくさん作られていました。
資料名摂州八部郡兵庫津宿之図(写) (せっしゅうやたべぐんひょうごつやどのず)
解 説江戸時代の兵庫津を描いた略図です。凡例には、畑・道・人家・海が示されています。図中には、兵庫津の東西の出入り口であった湊口惣門や柳原惣門、高札場や本陣や問屋場、清盛塔などが図示されています。湊川を超えて西国街道沿いに人家が並んで町場化されている様を勘案すれば、江戸時代後期の状態を描いているものと考えられます。
資料名摂津車村絵図 (せっつくるまむらえず)
解 説江戸幕府が3度目に作った元禄の国絵図作成の時に、参考とした村絵図です。摂津車村とは現在の若草町、ひよどり台、白川台、名谷駅周辺に相当します。道や池、水路、田畑が表現されています。
資料名摂津国佛母摩耶山忉利天上寺 (せっつのくにぶつもまやさんとうりてんじょうじ)
解 説天上寺は、大化2年(646)に開創されたと伝える古刹です。明治7年に開通した神戸~大阪間の鉄道が描かれているので、それ以降に作られたことがわかります。海には新しい蒸気船が煙を上げていますが、帆掛舟や小型の舟も描かれています。この版画は、明治時代にこの寺を参拝した人々が土産品として買い求めたものの1つです。
資料名摂津国矢田部一ノ谷 (せっつのくにやたべいちのたに)
解 説須磨の沖合いから鉢伏山を中心に東から一の谷、二の谷、三の谷、敦盛塚などを描いています。源平合戦の舞台をテーマにして江戸時代か明治時代に描かれたものと考えられます。この頃、盛んにこのようなテーマの作品が作られていました。
資料名摂津名所図会 (せっつめいしょずえ)
解 説江戸時代の摂津国の旅行案内です。名所旧跡はもちろん各地の特産品、風俗習慣、人物紹介、祭礼儀式などの他、関係する物語や和歌、俳句、漢詩も引用紹介しています。
資料名摂津名所地図 (せっつめいしょちず)
解 説江戸時代に作られた、尼崎から明石までの名所を描いた絵巻です。地図としては、山、川、村や主な道路(赤い線)が描かれています。また、名所として、寺や神社、いわれのある樹木や森も描かれています。さらに、それぞれの土地についてよまれた万葉集や新古今和歌集の和歌も書きこまれています。
資料名摂陽山海古覧 (せつようさんかいこらん)
解 説六甲山から開港前の神戸を眺めた図です。神戸や兵庫津の辺りに、家屋が密集しているのがわかります。生田川や湊川は、付替えられる前なので、現在の川筋と異なっています。兵庫と神戸の沖には船が集まり、海の向こう側には、大阪や堺、淡路島が望まれます。
資料名増訂大日本国郡輿地路程全図 (ぞうていだいにほんこくぐんよちろていぜんず)
解 説江戸時代後期を代表する地図作家、長久保赤水が作成した日本図をもとに嘉永5年(1852)に江戸の鈴木驥園が増訂したものです。江戸時代の終わりには、今とほとんど変わらないこのような日本図が出版されていました。図のなかには、緯度や航路線がみえます。