| 目録閲覧上の注意 |
※ 明治19〜22、30〜36年は、『新修神戸市史』編集の際に作成した目録(『神戸又新日報目次』神戸市文書館)を転載しました。 それ以外については以下に掲げた凡例に基づいて新たに作成したものです。
目録未掲載の年次についても随時更新の予定です。 |
| 【目録凡例】 |
| 一、 |
「表題」は、原則として新聞の見出しを記載した。
見出しのみでは内容が判別しにくい場合、適宜( )内に内容を補足した。
見出しのないものは[ ]で表題を付し、適宜( )に内容を補足した。
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| 一、 |
記事に登場する場所、人物、団体は、それぞれ「場所」「人名」「団体名」欄に掲載した。
記事中に記載された人名、団体名は誤字・誤植と思われるものも含まれるが、
原則として原史料のまま掲載した。 |
| 一、 |
「備考」には、その他必要と思われる事項を記し、内容を補足した。 |
| 一、 |
原則として旧字は新字に改めた。 |
| 一、 |
現在の神戸市域に関係する記事を網羅的に採用するよう努めたが、
事件・事故・火事など記事については目録に掲載していないものもある。 |
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| 又新日報見本 |
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←写真は、『神戸又新日報』明治19年(1886)9月18日1面。
2段目から5段目にかけて掲載されているのはこの日の社説である。
その内容は、兵庫と神戸の市街を分断する格好で流れていた湊川が「兵神商業上に一大障碍」となっているとの観点から、 流路を変更して(「湊川堤防取除」)市街地を造成するよう論じたものである。
これは、「神戸将来の事業」と題して同年9月10日から10月10日にかけて連載された、 神戸の開港場あるいは商業地としての発展のための諸構想を論じた一連の社説のうちのひとつである。
実際には日清戦争後の明治34年(1901)8月に実現することとなる湊川付替えの構想は、 すでに明治10年代後半の『神戸又新日報』紙上で議論されていたものであった。
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