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神戸歴史年表
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西暦
年号
神戸に関係する歴史
日本の動き等
1192 建久3       7 12 源頼朝が征夷大将軍となる
1196 建久7 6 3 重源の請により、魚住泊・大輪田泊の修築が命じられる(「東大寺文書」)      
1199 正治1 12 29 小山朝政が播磨守護となる(「吾妻鏡」)      
1221 承久3       5 15 後鳥羽上皇が北条義時追討の命を下す(承久の乱)
1221 承久3 6 25 長沼宗政が摂津守護・有馬郡藍荘地頭に補任される(「皆川文書」)      
1223 貞応2 12   播磨国衙が同国如意寺領に対する国役の賦課・国衙使の入部を停止する(「如意寺文書」)      
1232 貞永1       8 10 執権北条泰時が『御成敗式目(貞永式目)』を制定する
1259 正元1 10 5 後深草天皇が有馬温泉へ行く(「百錬抄」)      
1274 文永11       10   文永の役(元寇)
1281 弘安4       5   弘安の役(元寇)
1285 弘安8 2 19 太山寺本堂が焼失する(「太山寺文書」)      
1285 弘安8 9   太山寺本堂再建の勧進帳が作られる(「太山寺文書」)      
1286 弘安9 2   清盛塚十三重石塔が造立される      
1286 弘安9 閏12 25 六波羅探題が太山寺領内での伐木・漁猟を禁止する(「太山寺文書」)      
1289 正応2 8 23 一遍房智真が兵庫観音堂において死去(51歳)(「一遍上人絵詞」)      
1297 永仁5       3 3 永仁の徳政令
1300 正安2 7 29 播磨性海寺四至内の殺生が禁じられる(「性海寺文書」)      
1303 嘉元1 6 26 播磨近江寺領内に乱入狼藉することを禁ずる院宣が下される(「近江寺文書」)      
1308 延慶1 12 27 伏見上皇が兵庫関を東大寺に寄進する(「東大寺文書」)      
1327 嘉暦2 2 12 神崎・渡部・兵庫3港の商船の目銭が東大寺東南院・大仏殿の修造費用にあてられる(「東大寺文書」)      
1331 元徳3・元弘1 8 24       元弘の乱
1333 正慶2・元弘3 2 21 護良親王が太山寺に令旨を下して挙兵を促す(「太山寺文書」)      
1333 正慶2・元弘3 3 1 赤松円心が摩耶山城に六波羅軍を迎えて戦う(「太平記」)      
1333 正慶2・元弘3 3 3 護良親王が太山寺に丹波国和崎荘を寄進する(「太山寺文書」)      
1333 正慶2・元弘3 5 22       鎌倉幕府滅亡
1333 正慶2・元弘3 5 30 隠岐を脱出した後醍醐天皇が兵庫福厳寺に着く、赤松円心が天皇に謁する(「太平記」)      
1334 建武1           建武の新政
1336 建武3・延元1 2 3 足利尊氏が京都で敗れ、丹波曾地を経て兵庫の赤松円心に迎えられる(「梅松論」「太平記」)      
1336 建武3・延元1 5 25 湊川合戦で楠木正成が足利尊氏・直義兄弟に敗れて戦死、新田義貞も京都に退く(「梅松論」「太平記」)      
1336 建武3・延元1       12 21 後醍醐天皇が吉野に逃れる(南朝の成立)
1338 暦応1・延元3 3   赤松・仁木らの北軍と摂津の南軍が摂津・播磨の間で数ヵ月戦う(「余田文書」)      
1338 暦応1・延元3       8 11 足利尊氏が征夷大将軍となる
1338 暦応1・延元3 10 19 興福寺が兵庫関(南関)での商船目銭徴収を認められる(「春日大社文書」)      
1350 観応1・正平5           室町幕府内部の紛争が激化(観応の擾乱)
1351 観応2・正平6 2 17 尊氏が播磨より兵庫に到着、直義と打出浜に戦って敗れる(「太平記」)      
1351 観応2・正平6 8 28 藤原範仲が播磨伊河上荘内布施畑村と賀古新荘の地頭職を太山寺に寄進する(「太山寺文書」)      
1351 観応2・正平6 9 12 赤松則祐が播磨伊川城から摂津に入り、須磨などに転戦する(「後藤文書」)      
1378 永和4・天授4 3 10       足利義満が花の御所(室町亭)に移る
1385 至徳2・元中2     如意寺三重塔が建立される(竜車銘)      
1388 嘉慶2・元中5 3 3 将軍足利義満が使を有馬に遣わして義堂周信を召還、周信は京都に還り4月4日死去(64歳)(「空華日用工夫略集」)      
1391 明徳2・元中8 7 18 将軍義満が兵庫に遊覧する(「兼宣公記」)      
1391 明徳2・元中8       12 30 山名氏清が京都で敗死(明徳の乱)
1392 明徳3・元中9       閏10 2 南北朝の合一がなる
1399 応永6       12 21 大内義弘が堺で敗死(応永の乱)
1402 応永9 8 3 明使僧が兵庫に着く、義満が兵庫に赴き明船を見る(「吉田家日次記」)      
1419 応永26 7 23 明使呂淵が兵庫に来るも、幕府諭してこれを帰国せしむ(「満済准后日記」「善隣国宝記」)      
1423 応永30 5 7 幕府が東大寺八幡宮領摂津兵庫関を寺家の直務とする(「東大寺文書」)      
1430 永享2 4 27 赤松貞村が太山寺に禁制を出す(「太山寺文書」)      
1432 永享4 8 17 将軍足利義教が兵庫に赴き遣明僧道淵の船を見、ついで須磨・明石に遊覧する(「看聞日記」)      
1441 嘉吉1       6 24 赤松満祐が将軍義教を殺害する(嘉吉の乱)
1444 文安1 1 22 幕府が赤松満政の所領東播3郡を召し上げ、山名持豊に宛てがう(「建内記」)      
1445 文安2 3 24 赤松満政が幕府に反し、有馬で敗死する(「師郷記」)      
1457 長禄1 7 2 赤松教貞が太山寺寺領を安堵する(「太山寺文書」)      
1467 応仁1       1   応仁の乱が勃発
1483 文明15 8   山名政豊が播磨に攻め入る(「実隆公記」)      
1484 文明16 2   浦上則宗が播磨守護赤松政則を追放し、山名政豊と戦う(「蜷川家文書」)      
1488 長享2       6 9 富樫政親が加賀一向一揆と戦い敗死
1488 長享2 7 18 赤松政則が山名政豊を退け播磨・備前・美作3国を復す(「蔭凉軒日録」)      
1522 大永2 11 11 但馬の山名誠豊が播磨の内紛を聞き攻め入る、浦上村国・村宗らは和睦してこれと戦う(「鵤庄引付」「備前軍記」)      
1531 享禄4 6 4 三好元長が赤松政村の援によって細川高国を摂津に破る、浦上村宗敗死(「二水記」)      
1539 天文8 4 8 赤松政村が淡路より播磨に帰り、明石城を攻め、ついで三木城に入る(「天文日記」)      
1543 天文12       8 25 鉄砲伝来
1549 天文18       7 3 フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸