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摘要
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昭和21年(1946)4月18日創刊。神戸新聞社は戦後の新興紙隆盛に目をつけ、新しく娯楽本位の夕刊紙の発刊を計画した。しかし連合軍総司令部は同一社がふたつの新聞を発行することは認めないという意向を示したため、別会社として神港夕刊新聞社を設立し、『神港夕刊』にこぎつけた。
創刊号の編集発行人は久保田喜一。設備、労務、編集、販売などに神戸新聞社が全面的に協力した。その後も順調に業績は伸び、社主竹内重一は神戸新聞社からの独立を企図し、昭和23年(1948)8月7日、社名を神港新聞社とすると同時に紙名を『神港新聞』に改題し、湊川新開地の湊町3丁目、藤田ビルに独立社屋を構えた。昭和25年(1950)3月1日から、夕刊のほかに朝刊を発行した。さらに同年『スポーツ・アンド・スクリーン』『オールスポーツ』を発刊した。昭和28年(1953)、朝刊を3版制にして地方進出を図ったが、この頃から経営不振となり、昭和34年(1959)11月18日『兵庫新聞』と改題、昭和36(1961)年10月、朝刊を廃止して夕刊専門紙に戻し経営再建をはかったが、昭和43年6月1日付で休刊となった。
なお、神港新聞が神戸新聞社から独立したのを機に、神戸新聞社は自社で新たな新聞発行を企画し、昭和23年8月1日、関西初のスポーツ新聞『デイリースポーツ』を創刊した。 |