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源平特集
年表
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時代 西暦
(年号)
天皇 院政 政    治
摂政関白 平氏関係 源氏関係 その他





1151
(仁平1)
近衛
(1141〜)
鳥羽(法)
(1129〜)




  頼長、内覧となる。
忠通、弟頼長につき鳥羽法皇に訴う
 
1153
(仁平3)
 平忠盛(58)   延暦寺僧徒、入京強訴
1154
(久寿1)
  源為朝の乱行によりその父為義の官を解く  
1155
(久寿2)
後白河   源義平、叔父義賢を殺す  
1156
(保元1)
7月保元の乱(天皇方-平清盛・源義朝、院方-源為義・源為朝・平忠正、院方敗れ、為義・忠正は斬られ、為朝は伊豆大島に流罪)
新制七条を諸国に下す
同左   
1157
(保元2)
      藤原基衡 死去― 平泉
新制三十五条宣下
1158
(保元3)
二条 後白河(上)



    興福寺僧徒、大和の公田の倹注を怒って上座の房舎を焼く
1159
(平治1)
12月平治の乱(藤原信頼・源義朝謀反、平清盛らが上皇達を助け源義朝らを討つ) 同左  
1160
(永暦1)
  源頼朝、伊豆に配流 延暦寺僧徒、日吉神輿を奉じて入京強訴
1163
(長寛1)
    延暦寺僧徒、園城寺を攻め堂塔を焼く(第4度目)
1164
(長寛2)
    藤原忠通(68)死去
1165
(永万1)
六条     延暦寺僧徒、清水寺を焼く。興福寺僧徒、入京強訴
1166
(仁安1)




     
1167
(仁安2)
   
2月〜5月、平清盛、太政大臣となる    
1168
(仁安3)
高倉  平清盛、大病を患い,出家して入道となる   高野山の衆徒、根来の徒と争う
1169
(嘉応1)
後白河(法)  平清盛、福原(神戸市兵庫区)に居を構える。3月20日後白河上皇が清盛の福原山荘を訪れる。以後しばしば訪れる。   延暦寺僧徒の申請により、藤原成親を備中に流す
1170
(嘉応2)
    後白河法皇、福原に行幸。藤原秀衡、鎮守府将軍となる
1172
(承安2)
清盛の女(むすめ)徳子、中宮となる(1181年より 建礼門院と称す)    
1173
(承安3)
清盛、大輪田の泊に経の島を築造   興福寺僧徒、多武峰を焼く
1174
(承安4)
 後白河法皇と后 建春門院が清盛の安芸厳島参詣の途中、3月16日福原山荘を訪問   後白河法皇、再び福原に行幸し、ついで厳島に行幸 
1177
(治承1)
鹿谷の密議(西光梟首、藤原成親、同成経・平康頼・僧峻寛等配流)   延暦寺僧徒、日吉・白山の神輿を奉じ京都に乱入
1178
(治承2)
    新制十七条を下す
1179
(治承3)
 



清盛の嫡男平重盛(42)死去。
清盛、兵数千を率いて福原から上洛し後白河法皇を鳥羽殿に幽閉し、反対派の官職を解く。
  新制三十二条を下す。 
1180
(治承4)
安徳 高倉(上) 清盛、大輪田泊の経の島を築造のため諸国より賦役を求めることが許される。
2月21日高倉天皇の皇子・言仁親王(安徳天皇)即位。高倉天皇は上皇となる。
3月20日高倉上皇が厳島参拝の途中、福原に立ち寄る。
以仁王(もちひとおう)の平家追討の令旨。
6月2日後白河法皇・高倉上皇・安徳天皇が福原へ福原遷都
11月23日京都へ還都。
5月以仁王の平家追討の令旨をうけ、源頼政(76) 挙兵するが宇治で平家に破れ敗死。
源頼朝挙兵、石橋山の戦いに敗れる。木曾(源)義仲挙兵。源頼朝、鎌倉に入る。和田義盛、侍所別当となる。源義経、頼朝の下へ参着、富士川の対陣で平家を破る。
 
1181
(養和1)
後白河(法) 平清盛(64)死去 頼朝、法皇に政治意見具申
1182
(寿永1)
  木曽義仲、城永用を破る  
1183
(寿永2)



 7月25日義仲に敗れた平家の都落ち。 礪波山の戦い、、木曽義仲が平家を破る。義仲入京。義仲、法皇の御所を襲う  
1184
(寿永3=元暦1)




2月4日 源氏軍7日を平家総攻撃の日と定め京を出発(大手総大将範頼・搦め手総大将義経)
2月5日 三草山合戦
2月7日早朝 義経 鵯越逆落しの奇襲 一の谷の戦い 平家大敗し西国へ逃れる
1月源範頼・義経らに宇治に攻められ、木曽義仲(31)琵琶湖畔の栗津で敗死。
1月29日 源範頼・義経、院に参内し平家追討と三種の神器奪還を命ぜられる。
 
公文所(別当大江広元)・問注所(執事三善康信)設置
1185
(文治1)
後鳥羽 2月屋島の戦い、那須の与一 扇の的を射る。
3月21日壇の浦の戦い、安徳天皇(8)入水し、平氏滅ぶ。
義経、頼朝に愁訴(腰越状)するが許されず。頼朝、諸国に守護地頭を置く  
1186
(文治2)




  源頼朝の奏請により諸国の平粮米を停止。後白河法皇が徳子を訪ねる(小原御幸)。
源行家、頼朝に殺さる。
一条能保が京都守護となる
 
1187
(文治3)
    藤原秀衡死去。新制七条を下す
1189
(文治5)
  藤原泰衡、源義経(31)を衣川に殺す。
源頼朝ら奥州平泉を攻め、泰衡(35)の一族を滅ぼす
 
1190
(建久1)
  頼朝上洛。◎この頃奥州総奉行を置く  
1191
(建久2)
  新制三十六条を下す。
頼朝、権大納言となり、政所・公文所を置く
 
1192
(建久3)
  後白河法皇(66)死去。
源頼朝、征夷大将軍に任ぜられ、鎌倉に幕府を開く