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平家物語
全巻目次
樋口被斬
六箇度合戦
三草勢汰
三草合戦
老馬
一二の懸
二度の懸
坂落
盛俊最後
忠度最後
重衡虜
敦盛
濱軍
落足
小宰相
首渡
坂落・盛俊最後
                  
 坂落 ( さかおとし )
  これを手始めとして、三浦、鎌倉、秩父、足利、さらに猪俣、児玉、野井與、横山、西、綴喜、及び私市の武蔵七党の兵どもが動き、源平互いに入り乱れ、喚き叫ぶ声は山を響かし、馳せ違う馬の音は雷のごとく、射違う矢は雨のごとき有様である。
  しかしながら、源氏の本隊だけではいかにも叶うように
は見えなかったが、七日の日の明け方に、大将軍九郎御曹司義経とその手勢三千余騎は鵯越に打ち上って人馬ともに休息を取っておられた。その軍勢に驚いたのだろうか、牡鹿が二頭、牝鹿が一頭、平家の一の谷砦へと駆け下りた。平家の兵どもはこれを見て、「里近くの鹿でさえ我らを恐れて山奥へ入ってしまっているのに、今鹿が下りて来たのはおかしいぞ。これは上の山から敵が下りて来ようとしているに違いない。」と大騒ぎしている所へ、伊予の国の住人、武智武者所清教が進み出て、「例え何者であろうとも、敵の方から来たものを通す訳にはいかない。」とて二頭の牡鹿を射止め、牝鹿は射ずにそのまま通した。越中前司(盛俊)はこれを見て「鹿など射て無益な殺生をしたものだ。只今の矢一筋あれば十人の敵を防げたものを。罪作りなことで矢を無駄にして。」と制した。
  その間九郎義経は平家の砦をはるかに見下ろしておられたが、馬どもを落としてみようとて、何頭か落とされた。あるものは空中で転んで落ち、あるいは足を折って死ぬものもあった。しかしながらその中で鞍置馬が三頭、無事崖を下りて、越中前司の館の前に身震いして降り立った。御曹司は、「馬は乗り手が気をつけて落とせば大して傷つくまいぞ。いざ落とせ。義経を手本とせよ。」とて、まず三十騎ほどが真っ先かけて駆け下りて行ったので、三千余騎のつわものどもは皆続いて駆け下りる。そこは小石交じりの砂の崖なので、すべり落ちるように二町ほどざっと下りて崖の途中の段のようになった所に一旦控えた。それより下を見下ろすと、苔むした断崖絶壁が垂直に十四五丈ほど下っている。それより先に進めるとも思えず、とは言え引き返す術も無く、一同がもはやここが最後かと呆然とその場に控えている所へ、三浦の佐原十郎義連が進み出て言うには「我らの故郷では鳥一羽捕らえるのにも朝夕このような所を駈け歩くぞ。この程度三浦の方では馬場のようなもの。」とて真っ先に駆け下りて行ったので大勢はみな続いて駆け下りる。後ろから降りてゆく者の鐙の先は、前の者の鎧かぶとに触れるほどである。余りの不安さに皆目をつぶり、小声でえいえいと声をかけて馬を勇気付けながら下りてゆく。それはもはや人間技とは思えず、さながら鬼神の所業のようである。坂落としも終わらぬうちに、どっと鬨の声を上げる。三千余騎の声ではあったが、山彦となって反響し、十万余騎にも聞こえた。
  村上判官代康国の手勢が火を放ち、平家の屋形や仮屋はあっという間に炎上した。黒煙に追われて平家の侍たちは何とか助かろうと眼前の海へ大挙して走り出した。渚に船はいくらもあったが、船一艘に鎧武者が四五百人、時には千人ばかりも乗り込もうとしたからたまらない。三艘の大船が渚から三町ばかり漕ぎ出した所で沈んでしまった。その後は上級武士だけを船に乗せて、雑兵どもは乗るなとばかりに、太刀や長刀で打ち払われた。遅れた者は乗せまいとする船に取り付きしがみ付いて、あるいは肘を切られ、あるいは腕を打ち落とされて、一の谷の波打ち際に朱に染まって折り重なった。能登殿は度々の戦に一度も不覚を取ったことがない方であられるのに、この度はどう思われたのであろうか、薄墨という馬に乗って西の方へと落ち延び、播磨の高砂から船に乗られて讃岐の八島へと渡られた。

一の谷合戦 義経・鵯越の逆落し
        
 盛俊最後 ( もりとしのさいご )
  新中納言知盛卿は生田の森の大将軍でおわしたが、東に向かって戦う所へ、山の手から攻め寄せた児玉党の中から使者が来た。「あなたさまは、一年武蔵の国司であられた事がございますので、その好で申し上げます。後ろにお気づきになりませぬか。」と言うので、新中納言以下の人々
が後ろを振り返ると、黒煙がせまって来ている。「何と、西の手が破れたのか。」という暇もあらばこそ、取るものもとりあえず、我先にと落ちていった。
  越中前司盛俊は、山の手の侍大将であられたが、今更逃げ切れぬと思ったのか、控えて敵を待っていた所へ猪俣小平六則綱がよい敵と目をつけて馬を並べて組討を仕掛け、二人とも組み合ってどっと馬から落ちた。猪俣も剛の者だが越中前司は六七十人がかりで上げ下ろしする船をたった一人で上げ下ろしするという怪力の持ち主である。あっと言う間に猪俣を取り押さえ、押さえつけられた猪俣は刀も抜けず、声も出せない。それでも何とか息を整えて、「敵の首を取る時は、自らも名乗り、相手にも名を問うてこそ功名となるもの。名も知らぬ者の首を取ってどうなさるおつもりか。」と言うので、越中前司ももっともと思ったのか、「元は平氏の一門であったが、身の不肖によって今は平侍に落とされた越中前司 盛俊という者である。お前は何者だ、名乗れ、聞こう。」と聞いたので「武蔵の国の住人、猪俣小平六則綱という者です。どうか命ばかりはお助け下さい。助けていただければあなたの一門が何十人おられようと、今度の戦の勲功の恩賞に代えて、お命を助けて差し上げましょうぞ。」越中前司は大いに怒って、「盛俊は不肖の身とはいえ平氏の一門である。源氏を頼ろう等とは思わぬし、源氏もこの盛俊に頼られようとは思わぬであろう。憎らしいことをいう奴めが。」と言って首を刎ねようとするので、猪俣は「冗談ではない。降参した者の首を取る法があるものか。」と言うと「ならば助けよう。」と盛俊は許した。そうして二人が畑と水田の境の畦に腰掛けて息を整えている所へ、一騎の武者が駆け寄って来た。警戒する越中前司に猪俣は「あれは某と親しい人見四郎でござる。この則綱がいるのを見て近づいて来たのでしょう。お気になさるな。」と言いながら、やつが近づいて来た隙を狙って組み付いてやろうと考えて窺い待つ間に人見四郎は一段ばかりの距離に近づいてきた。
  越中前司は最初は二人の敵の両方を交互に見るようにして気を配っていたが、次第に近づく敵に気を取られて則綱への注意がおろそかになった。その隙に猪俣は足をぐっと踏みしめて立ち上がり、越中前司の鎧の胸板に拳の一撃を加えて後ろへ突き倒し、起き上がろうとするところへ馬乗りになって、越中前司の刀を抜いて力いっぱい三度突き刺した後で首を取った。そのうち、人見四郎もやって来たので猪俣は功名争いが起こらないようにと、すぐさま盛俊の首を太刀に刺して掲げ、「越中前司盛俊をば、武蔵の国の住人猪俣小平六則綱が討ち取ったり。」と名乗りを上げて、その日の功名の第一号に名を連ねたのであった。