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福原遷都
福原遷都
発掘された福原
語句解説
発掘された福原
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(執筆・ 神戸大学 名誉教授 高橋 昌明)

 和田京・福原域の平家時代に関する遺跡には、以下のものがあります。現時点では考古学的発掘は、まだはじまったばかりであり、今後が期待されます。

楠・荒田町遺跡
 
楠・荒田町遺跡の二重壕遺構
(兵庫県教育委員会
埋蔵文化財調査事務所提供)
 兵庫区荒田町の近辺には、権(ごん)中納言平頼盛の邸宅がありました。大倉山公園西の神戸大学医学部附属病院構内は、同遺跡の中心域を占めると考えられ、1981年以来、 断続的に発掘調査がおこなわれてきました。2003年、その西北の一角に、櫓跡と推定される特異な掘立柱建物跡、 およびその南に東西方向39メートルにわたって並行する2本の壕遺構が出土しています。出土した京都系の土師器(はじき)皿の年代観から、 遺構は福原遷都の時代のものと考えられています。壕は、防御用以外に、区画溝、あるいは館(やかた)をとりまく北側の壕と、都市区画用の南側の溝が、たまたまこの場所で重なっているだけ、 などの意見が出されています。さらに後者は、福原宮を中心とする都市造り事業との関連が予想されます。なお11月に完成し安徳天皇が行幸した新造内裏の場所は、 この近辺と推定する意見も出ています。

祇園遺跡
   
祇園遺跡で確認された園池遺構
(神戸市教育委員会提供)
 兵庫区平野上祇園町周辺に広がる遺跡で、2004年まで11次にわたる調査が実施されています。主に有馬街道東側沿いの調査ですが、庭園の池と導水路・排水路、 石垣・土坑などが確認されました。池は最初に作られてから、2度の大きな作り替えがおこなわれ、土器の編年から存続の時間幅が、 12世紀後半内に収まることが明らかになっています。また池の南の地点からは、多量の京都産の軒瓦・かわらけの他、 中国産の陶磁器類が出土しました。瓦を葺(ふ)いていた建物は、京都から移築したもの、と見られています。 出土陶磁器で注目すべきは、中国長江中流域の吉州窯で焼かれた玳玻盞(たいひさん)天目小碗です。 吉州窯系陶器の日本での出土例は、博多・京都・鎌倉に数点あるだけで、大変に珍しい。文献から推して、近隣に清盛邸があったことはまちがいなく、 同遺跡は清盛に近い有力者の邸の一部、もしかしたら清盛邸ないしその関連のものと、考えられています。

雪御所遺跡
「雪見御所旧跡」の碑
 かって天王川と石井川がつくるY字状空間の中には、「雪之御所」という小字がありました。一方、文献から清盛邸の南に「雪御所」が存在したことがわかり、 これは『「平家物語』に見える「雪見の御所」と同じものと見なされています。1902年、天王川右岸の湊山町で石材列が発見され、ついで3年後、 その南の湊山小学校校舎改築の際、多数の土器・瓦片・礎石が発見されました。
雪見御所遺跡出土と伝えられる播磨系軒瓦
(神戸市博物館提供)

兵庫津遺跡・浜崎地区
   大輪田泊や清盛が築いたという「経の島」の正確な場所はわかっていません。築島寺福能寺清盛塚十三重塔の近辺はまちがいないでしょうが、 その遺構と認定できるような発掘成果は、まだ見つかっていません。ただし、その後身である兵庫津については、最近発掘成果が出始めました。 その一つ、元禄の「兵庫津絵図」で町屋(まちや)域の北部にあたる浜崎地区では、13世紀前半になって町場の形成が開始され、同世紀後半に一応の完成を見、 14世紀前半か16世紀初頭にかけて、じょじょに拡大してゆきますが、16世紀前半を境に急速に縮小、衰退したことがわかりました。 つまり浜崎地区は、中世兵庫津の町場の範囲ではあっても、平安の大輪田泊関係地には入らないようです。