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合戦と武具
源平時代の戦士
源平時代の防御用の武具
源平時代の攻撃用の武具
馬具と馬
源平時代の戦闘
1.源平時代の戦士
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(執筆・ 近藤 好和)

 戦士の四形態

 ここでは、源義経の生きた時代である源平時代(治承・寿永内乱期)の武具・馬具や合戦(戦闘法)について解説する。
 いうまでもなく、義経をはじめとする源平の武将達やその郎等・家人達は武士である。武士の成立は、十世紀半ば、平将門や藤原純友による 承平・天慶の乱が契機になると考えられている。その後、十二世紀に、保元・平治の乱を経て平氏政権が成立し、さらに治承・寿永の内乱を経て鎌倉幕府が成立する。 以後は明治政府が成立するまで七百年にわたり武士による政権が続くことは周知のことであろう。その間、武士は様々な側面をみせ、 武士という存在を一概に定義することはむずかしい。しかし、すべての時代を通じて武士が戦士であったことは間違いない。
 世界史的にみて、戦士には騎馬で戦闘に参加する騎兵と徒歩で参加する歩兵がいる。その攻撃兵器は、弓箭(ゆみや)・投槍(とうそう)・火器(鉄炮など)などの飛び道具と、 刀剣類や棒などの衝撃具に大別でき、それらの組み合わせで四種類の戦士ができる。日本では、すべての時代を通じて飛び道具の主体は弓箭であり、 衝撃具は打物(うちもの)と総称された。そこで、日本の戦士は、弓箭を主体とする弓射騎兵(きゅうしゃきへい)・弓射歩兵(きゅうしゃほへい)と、打物主体の打物騎兵・打物歩兵の四種類となる。 もっとも弓射騎兵・歩兵は弓箭だけでなく、太刀などの打物も同時に所持しており、打物騎兵・歩兵は、打物だけで弓箭は持たない。だから、 弓射騎兵・歩兵と打物騎兵・歩兵の相違は、弓箭佩帯の有無とも言い換えることができる。
 日本のこの四種類の戦士は時代によって変遷している。それをおおまかにいえば、日本での騎兵の成立は六世紀頃と考えられているが、 日本の騎兵は成立当初から弓射騎兵であったようである。弓射騎兵は律令時代を通じて存在しており、そうした弓射騎兵の伝統は、 あらたに成立した武士に引き継がれていく。ところが、十四世紀の南北朝期頃になると、打物騎兵という弓箭を佩帯しないあたらしい騎兵が成立してくる。 それに対し、伝統的な弓射騎兵は減少していく。これは戦士としての武士の大きな変質を示している。
 一方、歩兵は、律令制下までは弓射歩兵と打物歩兵が併存していたが、それが武士が成立して以降は、弓箭は騎兵(つまり武士)の武具となり、弓射歩兵は減少していく。 それが、南北朝期になると、打物騎兵の成立に伴って、弓箭はむしろ歩兵の武具となり、弓射歩兵がふたたび増加して、同時に打物歩兵も増加し、 戦闘が集団戦化していくのである。
 こうしたなかで、源平時代の戦士は弓射騎兵と打物歩兵であり、弓射騎兵が武士とよばれている。義経をはじめとする源平の武将達やその郎従や家人達も いずれも弓射騎兵である。それに対し、歩兵(打物歩兵)を武士とみるかどうかは研究者の間でも結論が出ていない。しかし、打物歩兵も戦士であることは間違いなく、 弓射騎兵と連携して武士団という集団で活動しているのである。したがって、源平時代の武具と戦闘とは、言い換えれば、 弓射騎兵と打物歩兵の武具と戦闘ということになる。
 なお、戦場に赴くのは、戦士つまり戦闘員だけではない。食糧(兵粮という)をはじめとする戦場で必要な様々な物資を運搬する人々や、 のちに出てくる城郭を構築したり、敵の城郭を破壊したりするための工作員などの非戦闘員も多数いたことも忘れてはならない。 しかし、ここでは戦士だけを取りあげることとする。