コレクション作品解説

最終更新日
2011年2月8日

小磯良平「踊り子」1940年頃 油彩・キャンバス 71.7×40.6p

踊り子は女性像を多く描いた小磯良平が、とりわけ好んだ主題のひとつである。自身の踊り子像について、「私はむしろコスチュームの人物に終始惹かれている。踊り子を描く場合も、そのコスチュームに関心があった。踊り子を描くといってもプロのバレリーナを描くのではない。アトリエで、多少バレエの心得のある普通のお嬢さんにバレリーナのコスチュームを着けてもらって描く」(『画家の言葉』1984年)と小磯は語っている。踊り子を描く際に、小磯が参考にした画家に、フランスのエドガー・ドガがいる。しかし、ドガが舞台上や練習場で踊るバレリーナの動きに魅せられたのに対し、小磯は常に静止した姿をアトリエで描いた。
戸空襲で焼失することとなる山本通のアトリエ内で、バレリーナの衣装をまとうモデルの女性を描いた本作は、太平洋戦争前夜の1940年頃制作された。戦争が激しくなっていく中、自ら荷車に積み込んで避難させようとしたという話もあり、この作品に対する小磯の思いの深さが感じられる。ほぼ完成作に等しかったものの、疎開の手助けをした友人の画家に感謝の気持ちを込めて贈られたため、本作は最後のサイン入れがなされていない。しかし、簡潔な構図に収まっている可憐な踊り子の姿態には、小磯の優れた描写力が惜しむことなく盛り込まれている。

小磯良平「自画像」1926年

 東京美術学校時代、藤島武二の教室で学んでいた小磯良平の作品には、藤島の力強い表現の影響が見られます。小磯の自画像は、学生時代のものが数点確認されていますが、この作品はその中でも、最後までアトリエに残されていたものです。大胆なタッチで自分自身の姿をとらえ、濃く太い線で輪郭を部分的に引き締めたこの自画像からは、若々しい情熱や自信さえ窺うことが出来るようです。
この作品を制作した23歳のとき、小磯は『T嬢の像』を帝展に出品し、特選の栄誉を与えられました。

小磯良平「青衣の女」1929年

油彩・キャンバス 73.0×60.0cm

 先にフランスに滞在していた神戸二中の先輩でもある古家新と小磯、親友の竹中郁は連れ立ってヨーロッパの各地へ旅行に行きます。古家さんの雑誌への記事やスケッチでこまめに記録しており、そこからは、旅の様子がうかがえます。今回は、特別展「古家新とゆかりの画家たち」で古家さんの滞欧時代の作品も展示室2で紹介されています。同じ時間をフランスで過ごした小磯さんの作品と比べながら当時のフランスの様子や旅のエピソードなどを味わうことができます。
 青いドレスを着た女性は、目鼻立ちがはっきりとし、肩幅も広くがっちりとした体型です。すでに多くの日本人の画家がパリで学んでいますが、あまり馴染みのない外国の女性は日本人画家にとってどんな風に目に映っていたのでしょうか。幼いころ異人館の近くで育ちクリスチャンでもある小磯さんは、外国の文化に触れながら成長しています。ボリュームある外国人モデルを前に臆することなく向き合い、すばやい筆致でしかもその女性の人生までも描ききっているかのように思えます。この描き方は、その当時人気があった野獣派に影響を受け、大胆にすばやく対象の全体を捉え、早いタッチで描かれています。

中西勝「黒い聖母子」1974年

 中西勝は1965(昭和40)年から4年半の歳月をかけて、夫人とともに自家用車による世界一周を敢行しました。中でもモロッコは大きな感銘を受けた地で、1970年代に入ってからも再度旅行に出かけています。

 本作では、夜の大地の中で、民族衣装を着けた女性が我が子に授乳をしています。背後の闇と白い衣装とのコントラストが印象的であり、モロッコへの旅で得たインスピレーションに基づくものでしょう。乳房とそれを持つ手が大きく表されるとともに、下半身の大きさも強調されており、母親のたくましさが前面に押し出されています。

 黒人の母子を重要なテーマに掲げる中西は、本作を描いた年に、「私は白い顔の母子像ばかり見てきたせいか、黒色の母子に出会った時びっくりしてしまった。今まで知らなかった美しさに打たれた。なんと言ってよいか、これだ、と厳粛に感じた」(『中西勝画集』1974年 中外書房)と語っています。