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常設展示のご紹介

弥生時代

弥生時代の家 弥生時代の家の多くは竪穴住居でした。中央には炉があり、食物の煮炊きや明かりとして、また、寒いときには暖房にも使われました。この住居は弥生時代の終わりごろの家と、その中での生活を復元したものです。

弥生時代の竪穴住居の復元弥生時代の竪穴住居の復元 弥生時代の家の中での生活を復元弥生時代の家の中での生活を復元

弥生時代:米づくりの始まり

はじめての水田 米づくりは、大陸(主に朝鮮半島)から北部九州をへて、紀元前4世紀ごろ、この地域に伝わりました。
近畿地方で、はじめて米づくりが行われたころの水田が、須磨区戎町遺跡で見つかっています。

石包丁石包丁

いろいろな農具 米づくりとともに、鍬や鋤、田下駄・田舟・石包丁などの農具も伝わりました。須磨区戎町遺跡では、鍬の未完成品がみつかり、農具を使っていたことがわかっています。

米づくりに使われた道具米づくりに使われた道具

金属器の登場 鉄や青銅の道具やこれらを作る技術も朝鮮半島から伝わりました。
鉄の斧などは、木を切ったり、削ったりするのにすぐれていました。しかし、量が少なかったため、これを補う石の斧なども多く使われました。 布を織る布を織る技術も、米づくりとともに伝わったものです。
糸を紡ぐときに使う紡錘車が、市内の多くの遺跡で見つかっています。また、西区新方遺跡などでは、機織の道具がみつかりました。

石や木の道具石や木の道具

土器のいろいろ 米づくりの始まりは、土器の使い方や形にも影響を与えました。
煮炊き用の甕と食物を盛る高坏・鉢のほか、米などを貯蔵する壺などの弥生土器がつくられました。

弥生時代の土器弥生時代の土器 シカを描いた土器片シカを描いた土器片

弥生時代:むらとむらの交流

むらとむらの交流 むらとむらの間では、さかんな交流がありました。たとえば、石のやじりの材料であるサヌカイトは奈良県の二上山などから、石包丁の材料は和歌山県の紀の川などから運ばれたものです。また、各地の土器が神戸市内に運ばれてきています。これらの土器や石器の材料の移動から、当時の人々の交流を知ることができます。

土器や石器の地方色土器や石器の地方色

土器の地方色土器は、それぞれ作られた地方の特徴をもっています。このような土器の地方色は、土器の文様や形、色の違いから知ることができます。さらに、目で見た差のほか、顕微鏡で見ると、土器をつくった粘土の違いが、はっきりとわかります。

弥生時代:戦いにそなえるむら

山の上のむら 弥生時代の中ごろになると、六甲山の南側や明石川の周辺の山の上などの、米づくりには不便なところにも、むらが作られました。山の上のむらは、戦いにそなえるむらと言われています。
西区頭高山遺跡では、竪穴住居やのろしをあげたと考えられる跡などと、石の剣ややじりなどの武器がたくさん見つかりました。 弥生の武器弥生時代にはむらとむらの戦いもおこり、弓矢が武器として使われ、石のやじりも大きく重いものが作られました。
鉄や青銅の武器も使われるようになり、市内の遺跡でも、銅剣の刺さった人骨が見つかっています。

弥生時代の武器や祭器弥生時代の武器や祭器

弥生時代:墓のいろいろ

弥生人の墓地弥生時代の近畿地方の墓では、木の棺が多く使われました。周りに溝を巡らせた周溝墓も出現します。墓は住居から少し離れたところに集まってつくられました。
このような弥生時代の墓地が、中央区雲井遺跡や西区新方遺跡などで見つかっています。 むらおさの墓弥生時代の中ごろになると、大きな周溝墓もあらわれます。このような墓はむらの有力者とその家族の墓と考えられます。また、集落から離れた山の上につくられた墓も出現します。
このようなむらおさの墓と考えられるものが西区玉津田中遺跡などで見つかっています。

お墓にそなえられた土器お墓にそなえられた土器

幼児の墓 墓の中には幼児を埋葬したものがあります。大人は墓地に木の棺に入れて埋葬されますが、幼児は土器に納められ、住居の近くに埋葬されたものが多いようです。埋葬に使われた土器は、日常の生活に使ったものと同じものです。

お墓にそなえられた土器お墓にそなえられた土器

弥生時代:銅鐸とまつり

むらのまつり むらでは、豊作を祈るまつりや収穫に感謝するまつりが行われました。
まつりには銅鐸や剣などが使われました。弥生時代の終わりごろには、銅鐸を使うまつりは終わり、鏡や剣を使うまつりに変わりました。
東灘区本山遺跡で見つかった大型石包丁なども、まつりに使われたと考えられます。

まつりに使われた石の道具まつりに使われた石の道具

本山銅鐸 この銅鐸は、吊手の一部がなくなっていますが、もとの高さは22センチほどの小型のものです。表面は三角形や格子目などの幾何学文で飾られたもので、見つかった時は赤銅色をしていました。作りそこねてできた穴の部分は、丁寧に補修されています。

本山銅鐸本山銅鐸

神戸市内発見の銅鐸出土地
番号 銅鐸名 所在地 出土数 発見年
1 森銅鐸 東灘区森北町6丁目 1口 1964年
2 生駒銅鐸 東灘区本山北町 1口 1958年
3 本山銅鐸 東灘区本山南町 1口 1990年
4 渦森銅鐸 東灘区渦森台1丁目 1口 1934年
5 桜ヶ丘銅鐸群 灘区桜ヶ丘町神岡 14口 1964年
6 伝大月山銅鐸 灘区大月山 1口 不明
7 投上銅鐸 垂水区舞子坂3丁目 1口 1928年
8 北青木銅鐸 東灘区北青木1丁目〜深江北町5丁目 1口 2006年 
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