神戸市-KOBE-


神戸の下水道の歴史と土木の関わり

神戸の下水道は、明治5年の旧居留地(きょりゅうち)レンガ造りの下水道から

本慶応3年(1868年)の兵庫港開港時、イギリス人の土木技師J.W.ハートの設計監督のもとで、神戸に西欧式のまちづくりを採用した外国人居留地の建設が始まり、その居留地に明治5年頃、円形と卵形のレンガ造りの下水道が完成しました。これが神戸の下水道の始まりです。その一部は阪神・淡路大震災を経た現在でも浸水対策用の雨水排水管として使用されており、西欧式下水道としては横浜と並んで日本で一番古いものとなっています。

  • 現在でも使われているレンガ水路 現在でも使われているレンガ水路
  • 居留地下水道設計図 居留地下水道設計図

近代下水道の着手

下水道には、生活排水等(汚水)を集め処理する役割と速やかに雨水を排除しまちを浸水から守る役割があります。神戸の下水道は、汚水と雨水を別々の管で流す「分流式(ぶんりゅうしき)」を採用し、昭和26年から本格的な事業に着手しました。始めは、生田区(いくたく)(現中央区)と兵庫区の中心部を対象に、汚水管や雨水管の工事、そして集まった汚水を処理する「中部(ちゅうぶ)処理場」の建設などが行われました。当時の工事は、ツルハシやショベル等で掘削(くっさく)し、土はモッコと天秤棒(てんびんぼう)を使って運ぶなど、ほとんど人力で行っていました。

下水道管の工事

下水道管の工事は、地表面から掘削し管を埋設(まいせつ)していく「開削(かいさく)工法」が主な工法です。現在は、バックホウやクレーンなどを使用した工事の機械化が進み、工事費や工事期間を大幅に短縮し効率的に下水道工事が進められるようになっています。また、開削工事により市民の生活に大きな影響がでるような所や、深い位置に管を埋設しなければならない所では、地表面を掘削せず、モグラのような機械で地中を掘り進み管を埋設していく「推進(すいしん)工法」や「シールド工法」などの工法が使われます。「推進工法」は昭和31年兵庫区新開地(しんかいち)で、「シールド工法」は、昭和42年の長田区東尻池(ひがししりいけ)地区で初めて採用されました。なお、近年では、掘削せずに管を内面から更生する管更生工法の技術も多く採用されています。

下水ポンプ場の工事

下水道は、埋設する管に勾配をつけることで下水を自然に処理場に流します。汚水管は、処理場に着くまで距離が長いため管がだんだん深くなります。そこで途中で汚水を浅い所にくみ上げる「中継ポンプ場」が必要となります。また地盤が低い所は雨水が貯まりやすいため、雨水を排水する「雨水排除ポンプ場」も必要です。ポンプ場の工事は、地中深いところまで及ぶため、大規模なものとなります。昭和30年、生田区(現中央区)東川崎町(ひがしかわさきちょう)に、汚水中継と雨水排除の2つの目的をもって建設された「宇治川(うじかわ)ポンプ場」が神戸市最初の下水ポンプ場です。現在では、23カ所のポンプ場が動いています。

  • 宇治川ポンプ場 宇治川(うじかわ)ポンプ場

下水処理場の工事

神戸市最初の下水処理場「中部(ちゅうぶ)処理場」は、大型の建設機械がほとんど無い時代、掘削等はもちろんのこと、コンクリートも竹の棒でつき固めるなど、ほぼ人力で建設され、昭和33年に処理が始まりました。現在では、神戸市が管理する処理場は6カ所(中部処理場は平成23年4月末に廃止)あります。また、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた「東灘(ひがしなだ)処理場」は、大きな地震にも耐えられるように耐震(たいしん)対策を図り、さらに地盤の液状化(えきじょうか)対策を施すなど地震に強い処理場として平成11年に本格復旧しています。

  • 中部処理場 中部(ちゅうぶ)処理場(平成23年4月末に廃止)
  • 東灘(ひがしなだ)処理場 東灘(ひがしなだ)処理場
  • 下水道のネットワーク化 下水道のネットワーク化