神戸市-KOBE-


五本松堰堤

最終更新日
2006年8月15日

建設年代

明治30年(1897年)3月〜明治33年(1900年)3月

施設概要

重力式粗石コンクリートダム
堤高:33.3メートル、堤長:110.3メートル、堤頂幅:3.6メートル
堤体積:22,000立方メートル(補強コンクリート分3,300立方メートル除く)

特長

日本最古の重力式コンクリートダム

布引五本松堰堤 写真布引五本松堰堤(明治33年7月14日撮影)

上記写真は、明治の建設当初の全景です。

当時、山岳部にこの規模のダムをコンクリートで築造したことは、全国的にも初めてで、見本となる建設物もほとんど無い時代に、基本的なところから手探りで着手し、且つ、職人らを指導していった過程を考えると、並大抵の苦労ではなかったと推測されます。

わが国では明治8年5月に初めてセメントが製造され、明治14年には山口県に民営のセメント会社が創立されていましたが、明治30年代当初、これほど大量にセメントを使用することは全国的にも少なかったと思われます。明治26年の計画では、土堰堤でしたが、人口増加のため、ダムを高くして容量を増やす必要があったため、コンクリートダムに変更され、このとき、高価であったセメント量を節約するとともに、堰堤重量を増すため、石を3割程度混入しました(粗石入りコンクリートダム)。

また、建設現場は車両が入れない山岳地であったため、ほとんど人力で運搬・施工されています。そのため、大半の砕石・砂・切石は現地で採取され、当時の予算書によれば、堰堤本体の建設費用は約20万円でありました。

建設当時、堰堤の設計において浸透水による揚圧力は考慮されていませんでした。

明治28年(1895年)のブーゼイダム(フランス)の揚圧力による決壊を受けて、Lavyにより揚圧力の設計理論が確立されたのが明治32年(1899年)であり、布引ダムは建設に着手済であったためです。

しかし、ダム内の水圧力が大きくなると、石積みが崩壊することも考えられるため、布引五本松堰堤では、157本の水抜き多孔管(φ3.8センチメートル)を3メートルピッチで9段設置して、その端部を堤外に出すことにより内圧水を排水する構造になっています。

その他の特徴的な箇所は、堤頂の高さ90センチメートル、厚さ30センチメートルの腰壁があり、そこにはダム建設に携わった技術者の名前を明示した英字の石造銘板が設置されています。

また、ダム下流側上部に歯飾り(デンティル)が縁取られ、景観にアクセントを与えています。

石造銘板 写真石造銘板

歯飾り 写真歯飾り(デンティル)

監査廊 写真監査廊

堰堤は建設当初は、水を貯め、少しずつ放水する施設でしたが、大正時代には直接、管を接続して取水するようになりました。

堰堤中央部には、内径3メートルの半円筒状の取水塔があり、その内部に設置された12インチの取水管により4箇所(水深に合わせて各高さごと)から取水しています。

堰堤の底部中央には、導水・排水管の通路(縦横約3メートルのアーチ状の監査廊)があり、明治の建設時には、川水の通路や材料搬入運搬の通路としても利用されていました。

明治の堰堤正面の写真では見えていませんが、下流に向かって左側に、ダムが満水になった時の水の越流部があり、この上に架かる管理用の橋(通称管理橋)も堰堤に付属する特徴的構造物となっています。

布引五本松堰堤 図面